愛と不安の間を揺れ動く
- 2017.07.05
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第1章の6回目になります。
前回は、愛はプロセスを気にしない
という話でした。
今回はその続きになります。
前回、プロセスについてはあまり気にせず、
結果について深く懸念することが、
神の二分法に近いという話をしました。
そのことについて神は、
実は結果についても気にしていない
と言います。
「究極の結果については懸念していない。
究極の結果は確実に決まっているからだ。
そこが、人間の第二の大いなる幻想だ。
人生の結果が不確かだと思っている。
究極の結果が不確かだと思うから、
あなたの最大の敵が生まれる。不安だ。
結果に確信がもてないから、創造者を疑う。
神を疑う。神を疑えば、
不安と罪悪感をいだいて生きることになる。」
(p.29)
神は、究極の結果を懸念していない、
と言います。
生命は失われることはないし、
神の目的が達成されないことはないからです。
もちろんここで言う生命とは、
私たちが言う肉体の生命ではなく、
本質的な生命のことです。
それが永続することは確実なので、
仮に私たちが暴漢に襲われようと、
世界戦争が起ころうと、
神にとっては痛くも痒くもないのです。
しかし、
私たちは永遠の生命が信じられず、
神の目的が達成されないことがあると思い、
不安になってしまいます。
こうして人は、不安になっては愛そうとし、
愛そうとしては不安になり、
その間を揺れ動くことになります。
どうして私たちは、
そんなことをするのでしょうか?
「深く探ってみれば、人間の行動には
二つの動機しかない。不安か、愛か。
じつは、感情の源もこの二つだけだ。
魂の言語にはこの二つの言葉しかない。
この二つはわたしが宇宙を創造し、
あなたがたが住む世界を創造したときに
生み出された二つの極なのだ。
これらが「相対性」というシステムを
可能にする二点、アルファでありオメガだ。
この二点、ものごとに対する
この二つの思考がなければ、
ほかの思考は存在しえない。
ひとの思考も行動もすべて、愛か不安か、
どちらかを根拠としている。
ほかの考えはすべて、
この二つから派生したものだ。
単なるヴァリエーションで、
同じテーマが変化したものにすぎない。」
(p.31)
実にシンプルだと思います。
この世はすべて、
愛と不安から創られていると言うのです。
この2つが極になっているので、
その間を行き来することになるのです。
もともとは愛しか存在しなかったと、
最初に言っています。
そこに不安を創り出すことによって、
相対的な世界が創られました。
これはまさに、
太極から陰陽が生まれたという、
陰陽道の説くところです。
「あなたがたが正しく行動しなかったら、
神は見捨て、手を引いてしまうとすれば、
神ならぬ身の人間を頼れるはずがない。
……だから、
あなたがたは最高の愛を誓った瞬間に、
最大の不安にぶつかるのだ。」
(p.31 – 32)
「愛している」と言うと、
相手は同じことを言ってくれるだろうか
と不安になる。
愛を得れば、次は失うことが不安になる。
そうやって、愛に向かいながら、
すぐに不安に逆戻りしてしまうのです。
「そこで、あらゆる行動が
「失う不安」に対する自衛反応になる。
神を失う不安に対してすら、
自衛しようとする。
だが、自分が何者であるかを知っていれば
悩みは消える。
あなたがたは神が創造したなかで
いちばんすばらしい、
すぐれた存在であることを知っていれば、
決して不安にならないはずだ。」
(p.32)
先日、斎藤一人さんの本を
ブログで紹介しました。
「世界一ものスゴい成功法則」
http://4awasejsn.seesaa.net/article/427835659.html
一人さんは、
私たちは素晴らしい存在なのだと言います。
「お釈迦様は、生まれてすぐに、
「天上天下唯我独尊
(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
とおっしゃったと言われているんです。
人間は、この世に生まれた時点ですでに
”スゴい人”なんだ、
ということをご存じだったんです。
(中略)
その「自分はスゴいんだ」ということを、
お釈迦様は思い出したんです。
自分は元から”スゴい人”だった、と。
これが「悟り」です。
悟りとは、
ほんとうの自分に気づくことなんです。」
(「世界一ものスゴい成功法則」p.51)
私たちが、
自分のことをダメな存在だと信じたのは、
親からそう言われたからです。
私たちが最も愛すべき親が、
ああしてはいけない、こうしなくてはと、
私たちを叱ったはずです。
子どもは親の言うことを素直に聞けと、
脅したはずです。
言うことを聞けば愛するけど、
聞かなければ愛さない。
そうやって、条件つきの愛の実例を、
親が示してくれました。
「愛は条件つきだと教えたのは親だ。」
(p.32)
だから私たちは、
神もまたそのようにすると
思い込んでいます。
「あなたがたは、
無条件に愛されるというのは
どんなことかを忘れている。
神の愛の体験を思い出せない。
だから、世間で見いだす愛を基準にして、
神の愛も同じようなものだと思う。」
(p.33)
戒律を破れば地獄に落とされると。
私たちは、本当は気づいています。
無条件の愛こそが本当の愛だと。
しかし、すぐに不安が顔をもたげるので、
その通りにできないでいるのです。
「つらい思いをして愛し方を学んだのに、
また無防備になったら
きっとひどい目にあうと思う。
ほんとうは、愛し方を変えないほうが
ひどい目にあうのだ。
愛について
(間違った)考え方をしているから、
あなたがたは純粋な愛を体験できない。
それに、真のわたしを知ることもできない。
だが、それも、いつかは終わる。
なぜなら、永遠に
わたしを否定しつづけることはできず、
やがては和解の時が訪れるからだ。」
(p.34)
安心して心を開くと裏切られ、
傷ついてしまうかもしれない。
その不安から、相手を疑い、
心を開くことができない私がいました。
「ここまでやっても、
本当に私を愛すると言えるの?」
そうやって、相手の愛を確かめました。
しかし、動機が不安であれば、
結果はその不安を反映するのです。
「やっぱりウソじゃないか。
私は本当は愛されないんだ。」
そうやって、
自らの不安が実現したことに
安心したのです。
「人間の考え、言葉、行為のすべては、
どちらかの感情がもとになっている。
ほかに選択の余地はない。
これ以外の選択肢はないからだ。
だが、
どちらを選ぶかは自由に決められる。」
(p.34 – 35)
選択肢は、愛か不安かの2つです。
どちらを選ぶかは、私たちの自由です。
私たちはつねに、
このどちらかを選びながら、
自分の現実を創っています。
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幸せ実践塾・塾長
赤木篤 (あかき・あつし)
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