罪とは自分で体験しないこと
- 2017.07.25
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
前回で第1章の解説が終わり、
今回は第2章の1回目になります。
「わたしがあるものを嫌い、
あるものを愛する、そう思っているのかな?
言っておくが、わたしは何も嫌いはしない。
反感ももたない。
すべては生命であり、生命は贈り物だ。
言葉にならない宝物、
聖なるもののなかの聖なるものなのだよ。
わたしは生命だ。生命はわたしだから。
生命のすべての面に、聖なる目的がある。
どんなものにも神が理解し、
肯定した理由がある。」
(p.86)
ここは、意外に思われるかもしれません。
なぜなら、これが事実なら、
宗教上の争いなど起こりえないからです。
よく話題になるのが、
ムハンマドの肖像を描いたということで
イスラム教徒が激怒する事件です。
コーランを焼いたなどということも
よくありますよね。
しかし「神との対話」の神は、
「わたしは何も嫌いはしない。
反感ももたない。」と明言しています。
冒涜される側の神が、
それを肯定し、愛すると言っているのに、
人が腹を立てるのはおかしなことですよね。
もし、人が神の意向を受け入れるなら、
ここに宗教上の対立はなくなります。
では、神がそう言うことが、
理屈として筋が通っているのでしょうか?
神は、「どんなものにも神が理解し、
肯定した理由がある。」と言っています。
もし神が全知全能だとするなら、
神が存在を許したものしか
存在できないはずです。
逆に言えば、存在しているものはすべて、
神が認めたということになります。
「あなたがたが創りだすものはすべて--
思考も、品物も、出来事も、
それにどんな経験も--
神の計画のなかにある。
神の計画のもとで、あなたがたは
望むものを何でも創り出すことができる。
その自由に、神が神であることの体験がある。
あなたがたを創り出したのは
この体験のためだし、
生命そのものを創り出したのもそのためだ。」
(p.86 – 87)
前にも書かれていましたが、
私たちが自由に選択できることによって、
神である自分を体験できるようになります。
そして神である自分を体験するには、
神でない自分を体験しなければなりません。
それなのに、神らしくない自分を体験したら、
それを嫌い、反感を持つのでしょうか?
そんな筋の通らないことはあり得ませんよね。
「悪と言うが、
それはあなたがたがそう呼ぶだけだ。
だが、その悪だってわたしは愛する。
悪と呼ぶものを通じて、
あなたがたは善を知り、
神の業を行うことができるからだ。
わたしは寒さも暑さも愛している。
右も左も愛している。すべては相対的である。
すべては、あるものの一部である。
私は「善」を愛しているのと同じように、
「悪」を愛している。
このことが理解できれば、
あなたがたは神を理解できるだろう。」
(p.87)
「存在のすべて」が神であり、神が愛なら、
神がその一部を否定するはずがありません。
自分の一部を否定するのは人間だけです。
自分がそうだから、
神もそうだと思っているだけです。
「神は何でも「受け入れる」。
存在するものを神が受け入れないはずはない。
拒否するというのは、
その存在を否定することだ。
何かがいけないと言うのは、
それがわたしの一部ではないと
言うことである。そんなことはありえない。
だが、あなたがたは自分の信念をもち、
自分の価値観に従いなさい。」
(p.87)
神は、
自分のすべてを体験するという目的で、
この世を創りました。
その目的のためには、
「悪」と呼ばれるものも必要なのです。
たとえば、悪役が素晴らしいと、
主役が引き立つドラマになりますよね。
つまり、悪の存在によって善が輝き、
その善の素晴らしさを体験できるのです。
ですから神は、
私たちが「悪」と呼ぶものも受け入れ、
愛すると言うのです。
しかし神は、私たちには
自分の価値観に従えと言います。
それはどうしてでしょうか?
「善悪についてのあなたがたの考え、
それもあなたがたをかたちづくり、
創造する思考のひとつだ。
その思考を変える理由はひとつしかない。
あなたがたが、「そう考えている自分」では
幸福ではないときだけだ。
あなたが幸福かどうか知っているのは、
あなただけである。
あなただけが、自分の人生について--
「これはわたしの創造物である。
わたしはとても満足している」
と言うことができる。」
(p.88)
つまり、私たちが何を「善」と呼び、
何を「悪」と呼ぶかによって、
私たち自身を創造しているからです。
だから自分の価値観に従って、
考えなさいと神は言うのです。
そしてその考えを変える理由は、
自分がそのままでは幸福ではないときだと
神は言っています。
逆に言えば、その考え方で幸福ではない時、
自分の考え方を変えるべきなのです。
「あなたがたが
真実だと思っている価値判断のなかで、
体験にもとづいたものはごくわずかしかない。
あなたがたは体験するために
この世に生まれ、その体験を通じて
自分を創りあげるはずだった。ところが、
他人の体験から自分を創りあげている。
罪というものがあるとすれば、
これがそうだろう。
他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。
それが、
あなたがたが犯してきた「罪」である。
ひとりひとりが犯してきた罪だ。」
(p.88 – 89)
たとえば、大金を得た時、お金を使う時、
私たちはとても嬉しく感じます。
しかし、嬉しく感じている自分を
責める気持ちも湧いてきます。
それは、楽して金を得るべきではないとか、
お金は大事に使わなければいけないなど、
他人の価値観にしたがうべきだと
私たちが信じているからです。
本当の自分は「嬉しい」と感じています。
それに従うなら、自分の体験に従って、
自分を創りあげることになります。
しかし、私たちはそこで、
他人の価値観を信じることを優先し、
自分の心の声を押し殺すのです。
神はそれを、
私たちが犯してきた罪だと言います。
私たちは、よく、何が正義なのか、
何が正しいことなのかと他人に尋ねて、
それに従おうとします。
教祖がどう言ったか、先生がどう言ったか、
親がどう言ったかと、自分の体験ではなく、
他人の意見を重視しているのです。
とりわけ神がどう言っているかを、
私たちは重視してきました。
神のお告げを知ろうとし、
それに従おうとしました。
神の機嫌を損ねないようにと、
生贄を捧げたりもしてきました。
神が殺せと言ったとして、
人殺しさえも正当化しました。
すべてを神のせいにして、
自分の心の声を抑圧してきたのです。
「だいたいあなたがたは、
「もし神が法に厳格に従うことを望むなら、
どうして法が破られる可能性などを
お創りになったのか」という、
あたりまえの質問をしようとしない。
もちろん、彼らは、
神があなたがたに「自由な選択」を
させようとなさったからだ、と教える。
だが、一方ではなく
片方を選んだら責められるというなら、
自由な選択とは言えない。
あなたがたの意思ではなく、
誰かべつの者の命令によって選択するのなら、
「自由意志」とは言えない。
あなたがたにそう教えた者は、
神を偽善者にしている。」
(p.90)
自由とは、何でも選択できることです。
自由を与えたと言いながら、
一方を選んだら責められるとしたら、
それは自由ではありません。
よく、「自由には責任が伴う」などと
言う人がいます。
その人は、
言葉の矛盾に気づいていないのです。
自分が論理的に
矛盾したことを言っているのに、
それがわかっていないのです。
自由は自由です。
自分勝手ということです。
義務も責任もありません。
ただ、自分が自由に、
それを責任とすることはできます。
しかし、
他人の価値観を押し付けられるなら、
それは自由ではないのです。
「神には何も必要ではない。
「すべて」、それが神だからだ。
欠けているもの、必要なものは何もない。
それが神という存在なのだ。」
(p.91)
ですから神が人間に何かを命じ、
特定の思考や行為をさせることは
あり得ないのです。
正しい礼拝の方法だとか、何を食べよだとか、
何歳までセックスしてはいけないだとか、
神はそんなことを要求しません。
論理的にあり得ないことです。
それは単に、人が求めているだけです。
他者にそれを
守らせなければならないという、
不安を動機とした、
他人の自由を奪おうとする行為なのです。
神は愛です。
愛は不安の対極です。
もし不安がないなら、必要性がないなら、
どうして他人を従わせようとするでしょうか?
私たちに求められているのは、
自分の体験に従うことです。
自分の自由な意思によって、
自分自身を創造することなのです。
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赤木篤 (あかき・あつし)
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