神として生きるということ
- 2017.07.28
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第3章の2回目になります。
前回は、
「人生がいつになったら上向くのか?」
「そのためには何が必要か?」
という質問に対する答えでした。
その答えとは、
「私たちは神だということを信じ、
そのように生きること」でした。
今日は、その続きになります。
神のように生きると言われても、
いまいちピンときませんよね。
具体的にどう生きればいいのでしょう?
「まず、最も気高い、
こうありたいと思う自分を考えなさい。
そして、毎日そのとおりに生きたら
どうなるかを想像しなさい。
自分が何を考え、何をし、何を言うか、
ほかのひとの言動にどう応えるかを
想像しなさい。」
(p.105)
つまり、理想の自分を思い描くのです。
たとえば、理想の自分は、
いつもイライラしたり、
腹を立てたりしているでしょうか?
いつもクヨクヨしたり、
不安を口にしたりしているでしょうか?
「いや、そうじゃない。」と言うのなら、
どんな自分なのでしょう?
大らかで、落ち着いていて、
微笑みを絶やさず、
いつも他人に親切でしょうか?
そういう自分を、想像してみてください。
「さて、いまの自分と
こうありたいと望む自分の違いがわかったら、
考えと言葉と行動を
気高いヴィジョンにふさわしく--
意識的に--変えようと決心しなさい。
それには、とても大きな精神的、
肉体的努力が必要になる。
一瞬も怠らず、
つねに自分の思考と言葉と行為を
見張っていなくてはならない。
つねに--意識的に--
選択を続けなければならない。」
(p.106)
まず重要なのは、
意識的に変えようと決心することです。
自分は変わるのだ、
自分の考え方、使う言葉、行動パターンを
変えるのだと、自分自身に誓うことです。
そして次に、
つねに自分の思考、言葉、行為を見張り、
それが理想のそれと違っていたら、
変えるよう選択するということです。
これまでは、無意識にただ反応して
生きていただけかもしれません。
それを意識的に、
自分で選択するようにするのです。
「これは、そんな無意識の生き方は
やめなさいという呼びかけだ。
あなたの魂が時のはじめから
あなたに求めてきた課題なのだ。」
(p.106)
魂が私たち(=精神)に求めているのは、
意識的に選択せよ、ということなのです。
その思考は、その言葉は、その行為は、
本当の自分にふさわしいのか?
それを意識して選択せよと、
魂は私たちに求めているのですね。
しかし、これはかなり大変ですよね。
ニール氏がそう言うと、神はこう答えます。
「そうかもしれないが、
だが、いつかは第二の天性になるだろう。
実際に第二の天性なのだから。
無条件に愛するというのが第一の天性。
その最初の天性、
真の天性を意識的に表現する--
そう選択することが第二の天性だ。」
(p.106 – 107)
私たちがこの世に生まれた目的からすれば、
意識的に選択することが第二の天性だ
という指摘は当然のように思えます。
もしそれが不可能なこと、
あるいは特別な人にしかできないことなら、
私たちは神に近づけないことになりますから。
ここでニール氏は、神に問います。
「だって、不正直じゃありませんか。
ひどく具合が悪くても、
認めるなということでしょう。
……すっからかんの一文無しでも、
貧乏だと口に出すな。
とんでもなく動揺していても、顔に出すな。」
(p.107)
このように、自分を偽ることになるのでは、
とニール氏は言うのです。
それに対して神は、このように言います。
「だが、問題を無視したり、
問題などないふりをしろと
言っているのではないんだよ。
状況をきちんと意識し、
気高い自分の姿に照らして
語りなさいということだ。」
(p.108)
まだわかりにくいので、神は具体的に、
破産したケースについて語ります。
「破産したときは破産したときだ。
それを偽ってもしかたがないし、
認めまいと物語をでっちあげてもむだだ。
だが、あなたは「破産は悪いことだ」
「恐ろしいことだ」「自分は悪い人間だ。
善い人間なら一生懸命働くし、
破産なんかすまいと努力するだろうに」
などと考える。
その考えが、「破産」の経験を支配する。
「わたしは破産した」「一文無しだ」
「もう金がない」
というあなたの言葉によって、
破産している期間が決まる。
それをとりまく行動が--
自分を憐れんだり、落ちこんだり、
「どうせ、だめなんだ」と思って、
脱出の道を探そうとしないことが--
破産という現実を長びかせる。」
(p.108)
つまり、
事実や出来事を認めないことではなく、
それに対する評価や考え方が
神らしいかどうか、という問題なのです。
ここの話を読む時、
中村天風氏のことを思い出します。
神渡良平さんの「中村天風人間学」に
書かれている話です。
カリアッパ師について修行を始めた天風氏に、
師は調子はどうかと尋ねます。
肺結核で間違いなく死ぬと言われていた
天風氏です。
熱もあるし、体もだるいし、
「いやあ、いけません。調子が悪くて…」
と弱音を吐きます。
そのとき師は、天風氏を叱責します。
そして、こう諭します。
「いやな、痛いときは痛い、
気力がないときは気力がないと言えばよい。
でも感情にかられて気分を述べると、
その言葉の影響が後々まで残る。」
(「中村天風人間学」p.62)
「言葉って、暗夜の灯火であり、
導きの星なんだ」
(「中村天風人間学」p.63)
こうカリアッパ師は言って、
言葉を意識的に選ぶことの重要性を
天風氏に教えたのです。
「宇宙には「良い」状況も「悪い」状況も
ないことを第一に理解しておくべきだ。
すべてはあるがままにすぎない。
だから、価値判断はやめなさい。
第二に、すべての状況は一時的だ。
どんなことも
いつまでも同じままではいないし、
静止してはいない。
どちらの方向へ変わるかはあなたしだいだ。」
(p.108)
出来事はニュートラル(中立)だと言います。
出来事に意味があるのではなく、
私たちが意味を与えているだけなのです。
たとえば犬の糞を見て、
私たちは「汚い」と言います。
しかし、犬の糞が汚いのではなく、
犬の糞を見た私たちが汚いと思うから、
汚いだけなのです。
実際、その犬の糞を食べる虫がいます。
その虫は、「汚いけど仕方ない」などと
思っているでしょうか?
そんなことを思うはずがありません。
破産したことを「悪い」と思うのは、
単にその人の価値判断です。
もしその破産によって、
それまで考えてもみなかった方向に
進むことになったらどうでしょう?
そしてそのことによって、
人生が素晴らしく良くなったなら…。
私がよく例に出す
「人間万事塞翁が馬」の話です。
何が良くて、何が悪いのか、
私たちは簡単には判断できないのです。
逆に言えば、
どうにでも判断できるということです。
だから「神との対話」では、
善悪でさえ私たちの決めつけだと言います。
出来事はニュートラルなのです。
そして、現実は常に変化します。
「諸行無常」という言葉は知っていても、
多くの人は悪いことが一生続くと思い、
勝手に落ち込んだりします。
「もう自分は終わりだ。再起不能だ。」
などと決めつけます。
あなた、神ですか?(笑)
どうしてそんなことが
完璧にわかっちゃうんです?
もし、そんなにも将来が見通せるなら、
これまでも予想通りの人生だったし、
これからもそれを活かしたらいいでしょう。
とんな状況になろうと、
どんな出来事が起ころうとも、
そこに幸せのタネを探すことができます。
仮に探し出せなくても、必ず状況が変化し、
上向くと考えることができます。
「明けない夜はない」と言います。
「冬来たりなば春遠からじ」と言います。
昔から言われているように、
状況は常に変化するのです。
ですから今の状況に関係なく、
神らしく考え、言葉にし、行動しましょう。
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幸せ実践塾・塾長
赤木篤 (あかき・あつし)
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