死は自分で決めている

死は自分で決めている

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第3章の3回目になります。

「神との対話」は、
著者のニール氏と神とが対話します。

そのため、
話が違う方向に展開してしまうことが
多々あります。

したがって、体系だっていなくて、
わかったようなわからないような、
煙に巻かれたように感じがちです。

ここでも、
最初は人生が上向くことについて
神は答えていました。

しかし、
すべてを私たち自身が創造している
という話にニール氏が噛み付きます。

山をも動かす信念の病人がいて、
きっと良くなると信じていたのに、
6週間後に死んだとしたらどうか? と。

たしかに、そう疑いたくなるものです。

そこで神は次のように答え、
話は新たな方向へ展開します。

「「山を動かす」信念の持ち主が
六週間後に死んだのなら、
そのひとは六週間、山を動かしたのだ。
彼にとっては、それで充分だったのだろう。
彼はその最後の日の、最後の時間に、
「オーケー、もう充分だ。
つぎの冒険に進もう」と決めたのではないか。
本人が言わなかったので、
あなたはそれを知らないかもしれない。」
(p.109)

これは、そうとも言えるし、
そうでないとも言えますから、
何とも証明のしようがありません。

ただ、亡くなる人の瞳は、
いずれも穏やかだと証言する人もいます。

そして神は、
話をさらに別の方向へ進めます。

「あなたがたは、死ぬのはよくない、
という社会を創りあげた。
死んでもいいなんて言ってはいけない、
そんな社会だ。
あなたがたは死にたくないから、
どんな環境あるいは状況でも、
死ぬことを望んでいる者がいるなんて
想像できない。」
(p.109)

たしかに、
そういう面はあるかもしれません。

しかし、よくよく考えてみると、
神の指摘にも共感できる点があります。

たとえば、
いずれ死ぬことがわかっているのに、
安楽死を許されず、
苦痛に耐えなければならない患者です。

「医師や看護婦にとって、死は失敗なのだ。
友人や親戚にとって、死は災いだ。
ただ、魂にとってだけ死は救い、解放だ。」
(p.110)

ですから神は、
死のうとしている人に対して、
こうすることを勧めます。

「死にゆく者への最大の贈り物は、
安らかに死なせてやることだ。
「がんばれ」とか、苦しみつづけろだの、
本人にとっての人生最大の転機に、
まわりのことを心配しろだのと
要求しないほうがいい。」
(p.110)

私の祖母がまさに亡くなろうとした時、
私の母は泣いて祖母を呼びました。

すると親戚のお祖母さんが、
「呼び止めんさんな。逝かしてやりんさい。」
と言って母を制しました。

すでにあの世へ旅立とうとしている魂に、
未練を残させるなというわけです。

「神との対話」のこの部分を読むとき、
中学生だったころの、
祖母の死の体験がよみがえります。

「まだ生きると言い、
まだ生きられると信じていると言うひと、
生きたいと祈っているひとでさえ、
魂のレベルでは
「気が変わっている」ことがしばしばある。
魂が身体を捨てて自由になり、
べつの探求の旅に出る時がきた、
と決意したら、身体が何をしても
決意をひるがえすことはできない。」
(p.110)

つまり身体や精神がどう頑張ってみても、
死ぬべき時が来たら死ぬということです。

レイキの創始者の臼井甕男(みかお)氏も、
レイキはあらゆる病気に効果があるが、
寿命だけはどうにもならないと言っています。

魂が「自分は死ぬ」と決めたなら、
止めることはできないのです。

「一生を通じて、
あなたは身体が自分だと思っている。
ときには精神が自分だと思うこともある。
ほんとうの自分は何者かを知るのは、
死ぬときだ。」
(p.111)

私たちの運命の最終決定者は、
身体でも精神でもなく、魂なのです。

魂こそが、本当の私たちだからです。

「発達進化することが魂の目的であることは
はっきりしている。
それが唯一、「魂の目的」である。
身体が何を達成するか、
精神がどう展開するかはどうでもいい。
魂にとっては無意味だ。
また、身体を去ることは、
魂にとってはべつに悲劇ではない。
いろいろな意味で、
身体にとどまるほうが悲劇だ。
だから、
魂はまったくべつの見方で死を見ている。
それを理解しなくてはいけない。
もちろん、
「生きること」も違う目で見ている。
それが、人生で感じる欲求不満や不安の
大きな原因になる。
欲求不満や不安は、
魂の言うことに耳を傾けないから起こる。」
(p.111 – 112)

ここでのポイントは3つあります。

1つは、本来の私たちである魂の目的は、
自身の発達進化であることです。

金もちになるとか、
安定した暮らしをするとか、
異性にモテるとか、
誰かから愛されるなど、
魂にとってはどうでもよいことなのです。

2つ目のポイントは、
魂にとって死は悲劇ではない、
ということです。

むしろ、
身体にとどまる方が悲劇だと言います。

裏を返せば、
魂にとって死は喜ぶべきものだ、
ということになります。

3つ目のポイントは、
私たちの精神や肉体が欲求不満を感じ、
不安を感じたりする原因は、
魂の声に耳を傾けないからだ、
ということです。

魂の声は感情であると、
以前に言ってましたよね。

ここから話は、
魂の意図について展開していきます。

なのでこの続きは、
また次回以降に書くことにしましょう。

ここまでの話をまとめると、
次のようになります。

まず、私たちの本質は魂にあることです。

魂が死ぬと決めたら、
精神や身体には止められません。

そして神は、
私たちが死ぬことは、
私たち自身が決めていると言います。

何ごとも偶然に起こるのではなく、
すべては私たちの意思によって
創造されるのです。

また私たちが言う肉体の死は、
魂にとっては喜びであると言います。

このことは、
また別のところでも出てきます。

そのときまた、
詳しく解説することにしましょう。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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