悪魔はいない

悪魔はいない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第3章の4回目になります。

前回、神の爆弾発言を紹介しました。

「ヒトラーは天国へ行ったのだよ。」
{p.62)

人の死は、魂にとっては喜びだから、
誰かを殺すことそのものが
「悪」ではないのだと言います。

さらに、
ヒトラーの行為は神の意志だとも。

「わたしが放置したのなら、
それがわたしの意志だろう。」
(p.66)

ニール氏は、
神の意志はヒトラーに自由にさせることで、
大量虐殺を行わせることではなかったと、
最後まで抵抗します。

それに対して神は、こう言います。

「ヒトラーは--誰もがそうだが--
自由に選択することができる。
そして、
わたしが望む選択をしなかったからといって、
そのひとを未来永劫に罰するという意志を
わたしはもっていない。
もし、そうだとしたら、
どうして「自由」な選択ができるだろう?
わたしの望みに反したら、
言語に絶する苦しみを味わう
とわかっていたら、あなたは
自分のしたいようにできるかね?
それが自由な選択と言えるだろうか?」
(p.66)

神は人間に自由を与えたと、
宗教でも言っています。

しかし、
片方で自由にして良いと言いながら、
もう片方で
これこれをしたら罰すると言うなら、
矛盾しているのです。

たとえば上司が、
「今日は無礼講だから」と言いながら、
「お前はなぜ酌をしに来ないんだ!?
無礼だろう!!!」と怒鳴ったら、
どう思いますか?

それと同じことです。

愛の神が、
人々が喜ぶように自由を与えながら、
もう一方では誘惑して規則を破らせて、
それを罰するようにするというのは、
どう考えても矛盾です。

神が全知全能であるなら、
そんな面倒なことはせず、
自然法則に従うように創ったでしょう。

ニール氏はそこで、
誘惑するのは悪魔の仕業だと言います。

「そら、またわたしには責任を
負わせまいとしている。
あなたの神学を合理化する唯一の方法は、
わたしを無力な神にすることだ。」
(p.67)

ニール氏は、それでも抵抗します。

神には力があるが、
悪魔に対しても自由を認めているのだと。

悪魔とは、
堕落した天使ルシファーですから。

堕落したとは言え、元は天使です。

神はすべてを愛しているのだからと。

神は、善と悪のどちらでも選べるように、
人間に自由を与えた。

そして自らの意志で善を選び、
神の下に帰ってくることを願った。

そうではないかとニール氏は言います。

神は、人々がそう考えるのはよくわかる、
と言います。

人々は自分たちの現実を見て、
神を想像するからだと。

けれども、
真実はそうではないと説明します。

「わたしのいるところには「悪」はないし、
悪魔もいない。
あるのは存在のすべて、それだけだ。
すべてはひとつ。そしてその認識と経験だ。
わたしの世界は、絶対の世界であって、
そこでは、ひとつのものが他との
関係によって存在しているのではなく、
何ものからも独立して存在している。
私の世界は、
存在するすべてが愛であるところだ。」
(p.68)

神が悪魔と争っているという考えは、
まったくの空想に過ぎません。

そのようなドラマは存在しないのです。

「すべては
あなたがたが人生の目的をどう見るか、
つまり神学の基礎を
どこにおくかによって決まる。
人生はテストだ、試験だ、
自分が「価値ある存在」かどうかを
知ろうと試みる時間だと考えれば、
あなたがたの神学は筋が通る。
だが、人生は機会であり、
自分に(いまも、これまでも)価値がある
ということを発見する--思い出す--
プロセスだと考えれば、
あなたがたの神学はとても、
まともとはいえないよ。」
(p.70)

私たちは、自分には価値がないと思い、
それを獲得していくことが人生だ
と考えがちです。

人生を「学校」だとか、
「修行」だという考え方です。

そこには試練があり、
試験にパスしなければなりません。

しかし神は、
そうではないと言うのです。

「人生の目的は神を喜ばせることではない。
人生の目的は、
自分とは何者であるかを知ること、
自分を再創造することなのだよ。」
(p.70)

そこでまた、ヒトラーの話に戻ります。

「ヒトラーは天国へ行った。
地獄というものはないから、
ほかに行くところがないのだ。
彼の行動は、あなたがたに言わせれば
「過ち」--未発達な者の行動だ。
しかし、
過ちは非難して罰するべきものではなく、
修正するチャンス、発達するチャンスを
与えるべきものだ。」
(p.71)

人生の目的が経験することなら、
過ちには修正するチャンスを与え、
何度でもトライさせることでしょう。

私たちは、犯罪を犯した人に対し、
罰を与えて溜飲を下げようとします。

それでおしまいにしているから、
何度でも同じ過ちを繰り返します。

過ちに対して、
神は罰を与えません。

人間がそうしているから、
神もそうだと思っているだけです。

罰は目的に照らして無意味です。

ここが、
考え方が大きく違うところなのです。

「彼らは時ならぬ死をとげたのだから
「間違っている」とあなたは言うが、
それは、宇宙では
起こるべきでないことが起こりうる
と言っているのと同じだ。
だが、わたしが何者で、
どのような存在であるかを考えれば、
それは不可能だよ。
宇宙で起こることはすべて、
完璧に起こるべくして起こっている。
神はずいぶん長いあいだ、
過ちを犯してはいないのだ。」
(p.71)

最後のは神の軽口ですが、
なかなか面白いです。

全知全能の神が関与しながら、
起こることが不確かだということは
あり得ません。

プロセスは完璧なのです。

「すべてに完璧さを見るなら--
あなたが賛成できることばかりでなく、
(とりわけ)賛成できないことでも
完璧だと考えるなら--
悟りを開いたことになる。」
(p.71)

相対的な世界に住む私たちが、
その考えを絶対的な世界の神に当てはめ、
神学を作っていることが誤りなのです。

「神との対話」では、
すべてを知っている神が、
それを経験するために
相対的な世界を創ったと説明しています。

この考え方は画期的であるとともに、
もっとも筋が通っていると思います。

これまでは、
人生は学校だとか修行だなどと、
試練をくぐり抜けるものという考えが
ほとんどでした。

でもそうすると、
なぜそうなのかの説明がつきません。

そこで悪魔を持ち出し、
自由意志で神の下に帰るという
ドラマを作る必要がありました。

しかしそれでは、
無力な神にしてしまうことであり、
全知全能であり存在のすべてであるという
偉大な神を矮小化するものになります。

ですから私は、
この「神との対話」の考え方が
もっとも筋が通っていると思うのです。

そしてその考え方に従えば、
絶対的な「悪」は存在せず、
ヒトラーは天国へ行くことになるのです。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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