ありたい自分を創造する
- 2017.12.18
- 神との対話②
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第12章の2回目になります。
前回は、「不利な」立場にいる人に対して
どうすればよいか、という話でした。
手を差し伸べるべきなのか、
それとも放っておくべきなのか。
その疑問に対して神は、
「わたしは何を望むか?」
と自問することだと答えました。
相手が何を望んでいるかではないと。
今回はその続きです。
ニール氏はその神の答えに対して、
「不思議な意見」だと言います。
これまでの教えと矛盾すると。
「これまでの教え」というのは、
ニール氏が他の人から学んだことでしょうね。
つまり、
世間の常識とは違うという意味です。
神は、
自分が本当に何を望んでいるかを考えず、
相手が何を望んでいるかを知ろうとするから
人間関係がめちゃくちゃになると言います。
「まず、
自分が相手に対して何を望むだろうと考え、
何も望むものがなければ、
相手が望むものを与える最大の理由も
なくなるから、たいていは与えない。
もし、相手に対して望むものがあれば、
自己保存本能が働いて、
相手が望むものを与えようという気になる。
それから、
あなたは与えたことをうらむ--
相手が欲しいものをくれない場合には、
とくに。
この取り引きゲームでは、
あなたは非常に微妙なバランスをとる。
あなたがわたしのニーズを満たしてくれれば、
わたしもあなたのニーズを
満たしてあげましょう、というわけだ。」
(p.205)
ここで神は、
私たちが行っている「取り引きゲーム」を
説明します。
相手に何か望むものがない時、
私たちは相手が望むものを与えません。
相手に対して無関心です。
相手に望むものがあれば、
それを得たいがために
相手のニーズに応えようとするのです。
面白いのは、
「与えたことをうらむ」
としていることです。
相手が自分が望むものをくれない時は、
当然、恨むでしょうね。
相手の裏切りと感じるでしょうから。
しかし、
相手が望むものを与えてくれても、
恨むのは時間の問題なのです。
なぜなら、
相手が与えてくれたものでは
満足しなくなるからです。
こういう
「取り引きゲーム」をやっている限り、
人間関係は上手くいかなくなる
と神は言うのです。
では、どうすれば人間関係が
上手くいくのでしょうか?
「他のすべてのひとや場所、
ものごとの神聖な関係の目的は、
相手が何を望むか、
何を必要とするかではなくて、
あなたが成長し、
ほんとうの自分になるためには、
何を必要とし、
何を望むのかを知ることだ。
そのためにわたしは
他者との関係を創造した。」
(p.205)
人間関係に限らずあらゆる存在との関係、
つまり相対的な関係というのは、
自分の成長のために
自分の望みを知るためにある
ということです。
状況、出来事、他人を見て、
自分がどうありたいかを考える。
自分がどうありたいと
本心で思っているかに気づく。
その機会を与えてくれるのが、
状況や出来事、そして他者なのです。
ここで神は、再び
相対的な世界を創り出したことを語ります。
「だからわたしは、あなたがたが
体験のなかで自分を新しく創造し、
知る方法を編み出した。」
(p.205)
その方法のために、
3つのものを与えたと言います。
「1.相対性--他者との関係のなかで
あなたが存在しうるシステムだ。
2.忘却--このプロセスで、
あなたは完全な健忘症になる。そして、
相対性はたんなるトリックにすぎず、
あなたはすべてであるということが、
わからなくなる。
3.意識--これは、あなたが
完全な認識に達するまでの状態だ。」
(p.206)
1冊目で詳しく書かれているように、
相対性と忘却によって
私たちはあらゆることを体験することが
可能になったのです。
そしてここでは、3つ目の要素として
「意識」を取り上げています。
「このパラダイムでは、意識こそすべてだ。
意識--あなたのほんとうの認識--は、
すべての真実の基本であり、
したがって霊性のすべての基本である。」
(p.206)
つまり、意識があることによって、
私たちは自分の体験を認識できるのです。
自分がどうありたいかを考えるのも、
この意識の働きです。
神であるということを忘れ、
相対的な世界に意識を持って生まれ、
私たちは自由になりたい自分になる。
自由になりたい自分として体験する。
それがこの世界なのです。
ニール氏は、
そんなことをして意味があるのか
と尋ねます。
何者であるかを忘れさせ、
それを思い出させようとする。
なぜそんな面倒なことをするのか、
という質問です。
それに対して神は、こう答えます。
「いまの自分、
そしてこうありたいと思う自分を
創造できるようにするためだ。
それが神が神として存在する行為だ。
わたしが--あなたを通じて--
わたしとして存在する!
これが、人生すべての要だ。」
(p.206)
私たち人間がいなくても、
神は存在しているし、
すべてを知ることができます。
しかし、
知ることはできても体験できません。
神は私たちを通じて、
体験しようとしているのです。
どんな体験をするかを、
神はつねに選んでいるのです。
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