支援の判断基準とは
- 2017.12.27
- 神との対話②
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第14章の1回目になります。
ここでニール氏は、
矛盾を感じて話を戻そうとします。
時には他人を放っておくことが
最大の援助になるという話がありました。
その一方で神は、
誰かが助けを必要としていたら
必ず助けるようにとも言っています。
「最大の援助は、
相手が自分の足で立てるようにすること、
相手にほんとうの自分を思い出させることだ
というのを忘れないように。
それにはいくつもの方法がある。
ときには少しばかり助けてやるのもいい。
あと押ししたり、引っ張ってやったり、
せかしたり……
また、ときには何も介入せずに、
自分なりの道を歩かせてやるのも
ひとつの方法だ」
(p.207)
「イエスは助けを求められれば
決して拒絶しなかったし、まして
「自業自得だ」などとは言わなかった。」
(p.209)
このように第12章で言っていますが、
ニール氏はそこに矛盾を感じたのです。
第12章でも神は、
それが矛盾でないことを説明しています。
なのでここでまた、
同じように説明します。
「相手の力を弱めるような助け方は、
決してしてはいけない。
絶対に、あなたが必要だと思う助け方を
強要してはいけない。
まず、あなたは何が与えられるか、
すべてを相手に知らせなさい--
それから、相手が何を欲しているか、
耳を傾けなさい。
何を受け入れようとしているかを
見つめなさい。
相手が欲しがっている助けを与えなさい。
言葉で、あるいは行動で、
放っておいてほしい
と言っていることだって多い。
そういうときは、
あなたが何かを与えたいと思っても、
放っておくことが最高の贈り物になる。
あとになって、
何かが必要だ、欲しいということになり、
それをあなたに求めてくれば、きっとわかる。
そうしたら、与えてやりなさい。」
(p.230)
相手の力を弱めるような援助を
してはいけないのです。
それは相手を自分に依存させる
ということです。
相手の自立を阻むことは、
相手のためにはならないのですから。
また、相手が助けを求めていないのに、
先回りして助けることもよくありません。
私などもつい老婆心から、
先回りしてアドバイスしがちです。
これは、反省しないといけませんね。
またたとえば、支配欲や名誉欲などから
支援をしようとしたとしましょうか。
その支援を相手が拒否すると、
ムッとしたりします。
自分の欲求が達成されず、
自分自身が否定されたように感じるからです。
さらに、一度拒否した相手が
今度は支援を求めてきたら、
「前は要らないと言ったじゃないか!」
などと言って、支援しようとしません。
自分のメンツが潰されたと感じていて、
報復したくなるからです。
しかし、本当に相手を助け、
相手が大きくなることを願って
支援を申し入れた場合はどうでしょう?
拒否された時、
今、相手はそれを必要としてないとわかり、
支援を強要しようとはしないでしょう。
そして次に相手が支援を求めてきたら、
喜んで支援してあげるでしょう。
「心からあなたの助けを求めている者の
苦境を無視するのはよくない。
与えすぎるのも与えなさすぎるのも、
相手を力づけることにならない。
高い意識をもっていれば、「自業自得だ」と
放っておくのが最高の贈り物だ、
などと言って兄弟姉妹の苦境を
わざと無視することはない。」
(p.231)
与えすぎるのも、与えなさすぎるのも、
良い支援とは言えないと言っています。
ここは、わかったようで
わからない部分だと思います。
なぜなら、「与えすぎる」というのは、
何かを基準にした相対的な言葉だからです。
では、その基準は何なのでしょう?
ここには、
その明確な基準は書かれていません。
強いて言えば、
「相手の力を弱めるか、強めるか」
という判断基準です。
では、どうすればそれが
相手の力を弱めているとか強めていると
判断できるでしょうか?
相手を自分に依存させ、
力を奪っているかどうか
どうやってわかるのでしょう?
おそらく、
ここには明確な基準はないのです。
ですから神は、
以前にこう言っています。
「どちらか疑わしいときには、
間違ってもいいから同情心、
憐れみの側に立ちなさい。」
(p.219)
これは、何か考えたり、言ったり、
行ったりする時の判断基準として、
以前に神が示されたことと同じです。
「すべての人間関係の決定的な接点において、
問題はひとつしかない。
「いま、愛なら何をするだろうか?」
ほかのどんな疑問も無縁であり、
無意味であり、
あなたの魂にとって重要ではない。」
(「神との対話」 p.175)
その時点で、
「それは愛か?」と自問する。
それしか方法はないのです。
誰も正解を教えてくれません。
自分で自分を厳しく見つめ、
襟を正す他ないのです。
この章の最後を、
神は聖書の話で締めます。
「祝福された子供たちよ、こちらへ来なさい。
あなたがたのために用意しておいた
王国を受け継ぐがいい。
あなたがたは、
私が空腹のときに食べさせてくれた、
渇いているときに飲ませてくれた。
宿無しだったときに、住まいを与えてくれた。
(中略)
すると、彼らはわたしにたずねるだろう。
神よ、いつ、あなたが空腹であるのを見て、
食べさせてさしあげましたか?
いつ、あなたが渇いているのを見て、
飲ませてさしあげたのでしょうか?」
(p.231)
たしかにそうです。
誰も神が空腹な姿など見ていません。
もし神が空腹でいたら、
誰もが喜んで食べさせるでしょう。
神に恩を売ることができたら、
何倍にもなって返ってきそうですから。(笑)
「そうしたら、わたしは答える。
まことに、まことに、
わたしはあなたがたに言う--
わたしのきょうだいのなかの、
最も小さい者のひとりに
あなたがたがしたことは、
わたしにしたことなのである。
これが、わたしの真実であり、
それは永遠に変わらない。」
(p.231)
本質的には、
すべては「ひとつのもの」です。
そうであるなら、
あの「貧しい誰か」は、
「神」そのものではないでしょうか?
もしそうだとすれば、
私たちはどうするのでしょう?
愛ならどうする?
自分が愛であるかどうかを決めるのは、
自分自身なのです。
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