恥も罪悪感も持たない

恥も罪悪感も持たない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話3」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第18章の5回目になります。

高度に進化した存在(HEB)の
特徴についての対話が続いています。

今回は、
HEBが恥も罪悪感を感じないという話です。

「恥というものがない。」
(p.361)

「それに、罪悪感がない。」
(p.361)

これまでにも、
罪悪感は百害あって一利なしなどと、
完全に否定してきました。

したがって、
HEBが恥も罪悪感も抱かないことは、
予想通りとも言えます。

しかし、ニール氏は、
土地の管理者として失敗したら
HEBでも土地を取り上げられる
という神の話を持ち出します。

その土地を取り上げられた人は、
恥ずかしく感じたりしないのでしょうか?

神は、土地を管理する能力がない
と判断された場合に、
土地を取り上げられるだけだと言います。

能力がない人に
管理しろとは言われないからだと。

ニール氏は、
それでも本人が続けたいと言ったら
どうなるのかと尋ねます。

神は、能力がないとわかった人は、
それを続けたいとは思わないと答えます。

「能力のなさが明らかになれば、
欲求がなくなる。
無能だと他に被害を与えるかもしれない
とわかっていれば、当然だ。
彼らは他に被害を与えようとは思わない。
他者に被害を与えることは、
自分を害することで、
それをよく知っているから。」
(p.362)

能力がないのにそれをさせるということは、
それによって誰かが損害を被ります。

たとえば、
運転する能力がない人を運転手にすれば、
事故を起こす確率がUPするでしょう。

私たちは、
もしその事故が自損事故なら、
その人だけが損害を受けたと考えます。

しかしHEBは、
自分たち全体が損害を受けたと考えます。

それがわかっているから、
能力がないとわかった人に運転をさせないし、
その人も運転したいとは思わないのです。

これはつまり、
「自己保存」ではないか
とニール氏は言います。

神もそれに同意します。

「唯一ちがうのは「自己」の意味だ。
人間は自己を非常に狭く考えている。
あなたがたは自分、自分の家族、
自分のコミュニティと言う。
HEBの考える自己はまったくちがう。
彼らは、自分、家族、コミュニティと言う。」
(p.362)

「自己」の意味が違うことは、
容易に想像できます。

しかし、
後半の違いは意味がわかりにくいですね。

神はこう説明します。

「ひとつしかないのだ。
そこが肝心なところだよ。」
(p.362)

つまり、「私の家族」というように、
家族は複数あると考えるのか、
1つしかないと考えるのか
という違いです。

この世界に家族が1つしかない。

まだわかったようでわからない感じです。

神はさらに説明を続けます。

「たとえば、高度に進化した文化では、
自分に
子育ての力がないことが明らかであれば、
決して自分で子供を育てるとは言わない。
だから、高度に進化した文化では、
子供が子供を育てたりはしない。
子供は年長者にゆだねられて、育てられる。」
(p.363)

この話は第1章に書かれています。

2018年2月16日に発行したメルマガ、
「子育ての間違い (18禁)」
で紹介しています。

私たちは、
子どもを親の所有物かのように思い、
所有者が子どもの養育をすることが
当然だと考えています。

しかし、家族という概念から
「私の」という所有格がなくなれば、
そこにこだわる必要性がなくなります。

「私の」子どもではなくなるのです。

もちろんだからと言って、
生みの親から引き離されて
家族愛が感じられなくなる
というわけではないと神は言います。

「子供の「親」--彼らの言葉で言えば
「生命を与えた者」--が誰か
わかっていても、
自分自身が
生命の基本を学んでいる最中の者から
生命の基本を学べとは言われない、
ということだ。」
(p.363)

子どもを産む親はまだ若く、
親自身が生命の基本を学んでいる最中です。

したがって、生まれた子どもに
それを教える能力がない。

能力がないのに、
それをさせたりはしないし、
やりたいとも思わないのです。

子育てをしたいと思わないことと、
子どもを愛するということは
別のことです。

むしろ愛するからこそ、
子どもの養育を信頼できる年長者に託す。

そういうことになるかと思います。

ここでまた、HEBが恥や罪悪感を
感じないということに話を戻します。

「感じない。罪悪感や恥は、
外部から押しつけられるものだから。」
(p.363)

恥や罪悪感は、自分が抱くものですが、
最初は外部から押しつけられるのだ
と神は言います。

「あなたがたの文化でも、
赤ん坊は「トイレの習慣」を恥じるだろうか?
もちろん、そんなことはない。
教えられるまでは、
恥ずかしいとは思わない。」
(p.363)

たしかに、子どもは恥ずかしがりません。

「うんこ」とか
言葉にするのが好きだったりします。

もちろん中には、
恥ずかしがりの子どももいます。

しかし、注目されて照れることと、
良くないものがあるから恥ずかしく思うのは
まったく別のことです。

排泄物などに「良くない」という概念を、
子どもは持っていないのです。

それが大人になっていく過程で、
「良くない」という概念を抱くようになる。

それは、周りの大人などから、
その考え方を押しつけられていくからです。

「文化の進化の度合いは、
誰に、あるいは何に
「恥」とか「罪悪」というレッテルを
貼っているかでわかるのだよ。」
(p.364)

神は、恥や罪悪感は
外から押し付けられると言いました。

つまり、何かを恥や罪悪だと決めつけ、
押し付ける人がいるということですね。

そこで、何を恥や罪悪とするのか、
それによって進化のレベルが測れる
と言います。

では、我々より少し進化した存在は、
どういうことに恥や罪悪を感じるのでしょう?

何に恥や罪悪を感じるのが、
進化レベルとして正しいのでしょう?

神は、そのことは語りません。

ただ、このように説明します。

「前にも言ったとおり、正邪はないのだよ。」
(p.364)

つまりこれも、
決まったルートがあるわけではない
と言えるのかと思います。

自分の中では、
昨日より今日と思索が深まり、
より自分らしい選択ができるようになった
としましょう。

しかし、昨日選択したことが、
必ずしも万人にとって
遅れていることではありません。

中には、
自分が今日選択したことを昨日選択し、
自分が昨日選択したことを
今日選択する人もいる。

ですから、
他人を判断して批評する必要性はなく、
自分が自分のことをわかればよいのです。

おそらく、いつかは何に対しても、
恥も罪悪も感じなくなるのでしょう。

それらが、
他人から押し付けられるものだとすれば、
それは自由ではありません。

自由でないなら、
本来の私たちとは言えませんから。

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