人は全面的に自由である

人は全面的に自由である

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「明日の神」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第22章の4回目です。

「新しい霊性」の時代の
政治、経済、教育と神は語ってきましたが、
この章では人間関係について語っています。

前回の最後に、
内側の関係で喜びや幸せなどを創り、
それを外側の人間関係で経験する
という話がありました。

ですから、
内側で創るべき喜びや幸せなどを、
外側の人間関係に求めてしまうと
絶対に上手くいかないのです。

今回はその続きです。

まず内側に持つことが重要だ
という神の話から、ニール氏は、
人間関係では受け取ることではなく
与えることなのかと尋ねます。

それに対して神は、次のように答えます。

「両方だよ。
だが人間関係であなたが受けとるものは、
あなた自身から受けとるのだ。
相手から受けとる
と思っているのが幻想なのだよ。
だからあなたが受けとるのは
あなたが与えるものだけだ。それが秘密さ。」
(p.379)

相手から受け取るのではなく、
自分が与えるものだから、
けっきょく、自分自身から受け取るのですね。

では、与える力がない時、
どうやって与えられるようになるのでしょう?

それについても神は、次のように答えます。

「あなたは受けとりたいものなら、
何でも与える力がある。
あなたが人間関係から得たいと思うもので、
与えられないものなど何もない。」
(p.380)

まず、自分には与える力がないというのが、
思い込みに過ぎないのですね。

「では、
もっと偉大になるにはどうすればいいかを
思い出そうとして、
人間関係を結ぶという場合を考えてみよう。
これはすべての人間関係の、
そしてすべての人生の目的だからね。
前にも言ったが、「人生の目的は、
真の自分についていだく
最も偉大なヴィジョンの
最も壮大なヴァージョンとして
新たな自分を再創造すること」なのだから。」
(p.380)

そこで1つの例として、
もっと偉大になるために「自由」を与える
という話になります。

神は全面的な自由を人間に与えていますが、
人間は他の人に与えないことが多い。

そんな度量の小さい自分が、
もっと偉大な自分を経験しようとして
人間関係を利用するという例です。

「じつは、
自由とは神があなたに与えるものではない。
さっきのは言葉のあやだ。
自由とは、あなたそのものなのだ。
神そのものであり、あなたそのものだ。
それがあなたのエッセンスだ。
だから、
あなたの自由が少しでも踏みにじられると、
あなたはつらい思いをし、
自分が小さくなったと感じる。
踏みにじられたのは
あなたの外側にあるものではなく、
あなたの存在のエッセンスだから。」
(p.380 – 381)

まず、「自由」というのは、
神が人間に与えたものではなく、
人間はそもそも「自由」という存在なのです。

そしてこれは、「愛」も同じだと言います。

「したがって、
愛という言葉と自由という言葉も、
入れ替えが可能なのだよ。
すべてはひとつの同じ経験を表している。
「新しい霊性(スピリチュアリティ)」の
時代には、
愛と自由は同じこととして理解されるだろう。」
(p.381)

愛、自由、生命、無制限、神などは
同義語であり、同じものだ
と前の本でも語られていましたね。

ここで神は、
この愛は自由であるという理解が、
私たちの結婚に重要な意味を持つ
と言います。

そこでまず、その自由の性格を語ります。

「自由は分割できるものじゃないよ。
妊娠と同じだ。
少しだけ妊娠するなんてことはありえない。
同じように、
少しだけ自由だということもありえない。
自由か、自由ではないか、それだけだ。」
(p.381 – 382)

少しでも制限されるなら、
それは「自由」ではないのです。

「「新しい霊性(スピリチュアリティ)」の
時代には、
人間関係において、
ひとはつねに全面的に自由であること、
誰もそれを奪うことはできないこと、
なぜなら自由こそ、
そのひとそのものだからである
ということが理解されるだろう。
そして
誰かが自由を奪ったと非難しようとするのは、
ただ忘れているからだ
ということも理解されるだろう。
人間関係は
全面的な自由のうえに成り立っている。
そういうふうにできているのだ。」
(p.383)

人間関係において、
それが結婚という強い結びつきであっても、
それぞれが全面的に自由なのです。

そして、
相手が自分の自由を奪うと思うのも、
ただ忘れているだけだと言います。

そのことを具体的な例で示します。

「夫が妻にある量の関心を求め、
それが得られないなら出て行くと言うのなら、
そして
妻はそれだけの関心を与えないとしたら、
それは妻の自由な選択だよ。」
(p.384)

妻が関心を持たないことを夫が責める。

それでも関心を示さないというのは、
妻の自由です。

夫がとやかく言えることではありません。

また、そのことで夫が浮気をするなら、
それは夫の自由です。

妻がとやかく言えることではありません。

夫の浮気は、妻への罰でしょうか?

神は、それに答えます。

「すべての選択には結果がある。
しかし、結果は罰ではない。なりゆきだよ。」
(p.384)

罰ではなく選択の結果である
と神は言います。

そしてそれについて、
さらに詳しく説明します。

「人間関係の当事者はどちらも、
自分の好みを宣言する自由をもっている。
その宣言は、
自分は何ものであるかという表明だ。
相手はあなたが何ものであるかについて
賛成する必要はなく、
ただあなたの宣言を心にとどめればいい。」
(p.384)

家でタバコを吸うのも自由、
吸わないのも自由。

タバコが嫌いだから吸わないでほしい
と言うことも自由だし、
それでも吸うならと出ていくのも自由。

罰ではなく、
自由に好みを宣言して選択した結果なのです。

「どちらも
相手の自由意思による選択に腹を立てたり、
それで「傷つく」必要はない。
相手の自由意思による選択に
「深く傷ついた」というのは、
あなたが何もので
相手が何ものであるかを否定することだ。
つまり
真の自分たちを忘れている、ということだよ。」
(p.384)

「人間関係は、自由の完璧な表現だ。
そこで
不幸になったり惨めになったりするのは、
その人間関係の共同創造者である当事者が
真の自分たちを忘れて、
「被害者」の役割を演じるときだ。」
(p.384 – 385)

相手が自分の思い通りにならないことや、
自分の欲求を満たしてくれないことを
あってはならないことだと考えるから
傷つくし、腹が立つのです。

それはつまり、
相手の自由を認めていないということです。

本来、人は自由である
ということを忘れているのです。

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