無益な死も生もあり得ない

無益な死も生もあり得ない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神へ帰る」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第23章の1回目です。

事故や事件で非業の死を遂げる人がいます。

また、悲惨な人生を送った末に、
病気で死ぬ若者もいます。

それでも神は完璧だと言います。

しかもそれは、
その人自身の課題のためだけではないのです。

そこで神は、次に思い出すことを示します。

「・思い出すこと--その一二
 すべてのひとの死は、
つねにその死を知るほかのすべてのひとの
課題(アジェンダ)に役立つ。
 だからこそ、彼らはその死を知る。
 したがって
「無益な」死は--生も--ひとつもない。
誰も決して「むだ死に」はしない。」
(p.229)

誰かの死に接することによって、
特に身近な人の死によって、
何かに思い当たることがあります。

たとえば親の死ならば、
もっと孝行しておけば良かったとか。

その思いは、
親の死によって得られた感慨であり、
それは自分の課題に関係してくるのです。

「生命の
限りなく奇跡的な絡み合いが理解できれば、
どんな死も
とてつもなく神々(こうごう)しい
意義をもった出来事に変容する。」
(p.230)

私たちが気づくべきは、
個々別々だと思っている生命は、
実はひとつのものだということです。

「ひとつ」だからこそ、
一見バラバラに見えて、
複雑に関係し合うことが可能なのです。

「死」もそうですが、
「生」における出会いや別れも、
すべてが複雑に絡んでおり、
相手の課題に影響しています。

このことを理解すれば、
すべての死が引き上げられると神は言います。

「すべての死は償いである。
なぜなら死はすべて、
それぞれの魂をその真実に、生命の真実に、
神の真実に渡すから--
そして死にふれたひとはすべて、
この真実に向かって開かれ、
それを経験するだろうから。」
(p.230)

ここの意味はよくわからないのですが、
死によって生の過ちを償える
ということでしょうか。

たとえば、
例にあげられている911テロの被害者は、
その死によって、
テロという過ちを贖(あがな)っていると。

そう考えると、
次の神の言葉に合点がいきます。

「どんな死も無益ではなく、
すべての死は地上を離れるひとたちと
遺されるひとたちにメッセージをもたらす。
そのメッセージを探して発見し、
耳を傾けて聴くのは、あなたの役目だ。」
(p.231)

悪いことをしたからその償いのために
死という罰を受けるのではなく、
一部の個の「死」という御業によって、
全体が救われるのです。

死に行く者は、
みなメッセージを遺すと神は言います。

ただし、
そのメッセージを受け取れるかどうかは、
私たちにかかっているのです。

では、
その死のメッセージとは何でしょうか?

「さらにはすべての死の、
すべての生のメッセージと目的は何なのか?」
(p.231)

「そのメッセージとは、
あなたがこれであると述べるものだ。
その目的とは、
あなたがこれであると示すものだ。」
(p.231)

私たちが自分の人生を通じて述べ、
また示すものがメッセージであり、
その目的なのです。

「あなたがメッセージであり、
メッセンジャーだ。
あなたが創造者であり、被造物だ。
あなたはメッセージを届けつつ、
同時に
メッセージを生み出すプロセスにある。」
(p.231)

互いにメッセージを与え合い、
それを受け合い、
影響を与えることで新たなメッセージを生む。

これが生命のプロセスであり、
私たちの人生なのですね。

「すべての魂は絡み合いつつ、
すべての瞬間を共同で創造している。
すべての魂だ。
絡み合いは続く。
その絡み合いが
生命という驚くべきタペストリーを織りなす。」
(p.232)

私たちは、
個々バラバラな存在ではありません。

互いに絡み合っています。

なぜなら、
本質的にはひとつのものだからです。

この理解によって、
「死」も「生」も意義あるものとなるのです。

神とは存在のすべてであり、
生命とは神が神自身を経験的に知るための
プロセスなのです。

私たちは、
その一部として何かを経験することで、
そのプロセスに参加しています。

しかも、個々の私たちの自由意思で、
何を経験するかが選べます。

つまり私たちは、今すでに天国にいて、
喜びの中で目的を達成している
ということです。

ただそのことを知らないから、
忘れているから、
苦しんでいる人もいるだけのこと。

本来は常に喜びの中であるし、
この喜びは永遠に続くのです。

「あなたがたの旅は
際限なく神を探す旅ではなく、
際限なく神を経験する旅だよ。」
(p.234)

「あなたがたが神を知る道--
それどころか、あなたがたが
「神性」としての自分自身を知る道だ。
だからこの旅は偉大なる喜びなのではないか。」
(p.234)

私たちの本質が神であるなら、
神の目的である
自分自身を体験的に知ることは
私たちの喜びに他なりません。

私たちは神から離れ、
再び会うことを願っていると錯覚しています。

そう誤解することで、
自分自身の苦しみを生み出しているのです。

「あなたがたは「神とともにあるわが家」を
一度も離れたことはないのだ。」
(p.235)

忘れていることを思い出せば、
私たちは神そのものだとわかります。

そうなれば、
すべてが取り越し苦労であり、
苦しむ必要はなかったのだとわかるのです。

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