人生に恐ろしいことはない
- 2017.08.16
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第7章の1回目になります。
「人生には恐ろしいことは何もない。
あなたが結果に執着しなければ。」
(p.150)
特定の結果に執着するから
恐れ(不安)が起こります。
たとえば、
明日は遠足だから晴れて欲しいと願うと、
「晴れる」という特定の結果に
執着することになります。
だから、
「晴れない」という結果が起こることが
恐い(不安だ)と感じるのです。
もし、晴れても晴れなくてもかまわない、
と考えたらどうでしょう?
そこにはもう恐れはないはずです。
しかし著者のニール氏は、
1人で暮らすならそうも言えるけれど、
家族持ちには責任があるからと反論します。
所得がなくなれば、
家族を養うことさえできません。
それを恐れるのは、
当然ではないかというわけです。
それに対して神は、このように答えます。
「あなたは、
「いまのざまを見てください」と言い、
自分は「救貧院行きの一歩手前」だと言う。
だが、わたしはぜんぜんべつの見方をする。
わたしの目に映るのは、
豊かな家の一歩手前にいる人間だ!」
(p.155)
神は「見方」の話をします。
今の状況は同じです。
ただ、それに対する見方が違うのです。
「コップ半分の水」という状況は、
「半分しかない水」とも見えるし、
「半分もある水」と見ることもできます。
そして、神からの小切手を受け取るなら、
物質的な世界での安定感だけでなく、
良いものすべてが手に入ると言います。
だからこそ、
現実の出来事にとらわれるのではなく、
魂のゲームに没頭すべきなのだと。
状況や出来事に関係なく、
自分が求める在り方を生きることです。
「だが、皮肉なことに、
わたしの報いによって
魂の安らぎを経験すれば、
物質的安らぎについては心配しなくなる。
家族の物質的安らぎにすら、
関心がなくなるだろう。
あなたが神の意識レベルにまで向上したら、
ほかの人間の魂への責任はないこと、
すべての魂が安らかであれと
願うのは立派だが、
それぞれの魂が自らの運命を選ぶべきだし、
選んでいるのだということが理解できる。」
(p.155)
ここは、物質世界を前提に考えていると、
なかなか理解できないことだと思います。
ちょっとぶっ飛んだ思考になって、
考えてみてください。
まず、私たちの本質は、
永遠の生命である魂です。
その魂の立場から言えば、
肉体が滅ぶこと(死ぬこと)でさえ、
大した問題ではないのです。
それどころか、
喜びでさえあると言っています。
窮屈な肉体から解放されることで、
喜びを感じるというのは、
わからないでもありません。
そして魂は、この肉体を使って、
様々な経験をしようとしています。
その経験も、少しずつ進化成長して、
大きくなっていく自分を経験したいと思い、
そのような出来事を引き寄せます。
このことからすれば、物質的な安らぎ、
たとえばお金持ちになることなどは、
どうでもよいことになります。
だから「心配しなくなる」と言うのです。
そして、家族とはいえ他の魂は、
自分で自分のことを決めるべきだし、
そうする能力があると言います。
たとえば、
子どもだけ残すのは不憫だと言って、
無理心中するケースがありますよね?
私は、とても傲慢な考え方だと思います。
子どもの人生は、子どもが決めるべきです。
子どもだから生活していけないと、
どうして勝手に決めつけるのでしょう?
そうなのです。
私たちはいつも、勝手に決めつけています。
リストラされたら、もう終わりだとか。
どうしてそこで、
新たに好きなことがやれるチャンスだ、
という見方をしないのでしょう?
そういう見方ができるはずですし、
そういう見方をすれば人生が変わると
神は言っています。
「あなたの幸運は必ず訪れる。
あなたは必ず「救われる」。
それがわからないことこそ地獄で、
地獄はそれ以外にはない。」
(p.156)
「わたしを最も必要としているときに、
わたしを捨ててはいけない。
いまこそ、試練のときだ。
いまこそ、チャンスだ。
ここに書かれたすべてを
証明するチャンスだ。」
(p.158)
「いまこそ神の場に行く時だ。
そこでまず大きな精神の平和が得られる。
平和な精神からは良いアイデアがあふれ出す。
そのアイデアで、
あなたが抱えていると思っている問題が
解決するかもしれない。」
(p.158)
つまり、
私たちは創造主であることに気づき、
自分にふさわしい出来事を創造すれば、
問題も解決するということですね。
出来事が私たちの人生を決めるのではなく、
私たちの思考が決めるのです。
それなのに私たちは、
出来事が決めていると勝手に思い込み、
「もうだめだ」などと言います。
その「もうだめだ」という思考が、
「もうだめだ」という状況を
創造するというのに。
「現在の状況や環境は、
一時的なかりそめのものだと、
正しく考えられるようになる。
そして、それを道具として使えるようになる。
状況や環境は、
現在の経験を創造していくうえでの、
一時的なかりそめの
道具にすぎないからである。」
(p.158)
状況や出来事は、
単に前提条件なのです。
その前提条件を前に、
「さあ、どんな自分を経験したいの?」
と問いかけられているだけです。
憤慨する自分ですか?
悲嘆にくれる自分ですか?
それとも、希望に満ちた自分ですか?
そこで自分がどう考えるかで、
その状況や出来事での経験が変わります。
そして、そこでどう考えたかで、
どう言い、どう行動したかで、
次の状況や出来事が変わってくるのです。
では、家族への責任は、
どう考えたら良いでしょう?
それぞれ勝手にしろと、
ただ放任すれば良いのでしょうか?
「あなたの仕事は、彼らを自立させること、
できるだけ早く完全に、あなたなしに
やっていきなさいと教えることだ。
彼らが生きるために
あなたを必要としているかぎり、
あなたは彼らにとって祝福とはならない。
あなたが必要ないと気づいた瞬間に、
はじめて祝福となる。」
(p.155 – 156)
虐待することはもちろんですが、
ただ放り出せば良いわけではありません。
サポートしつつも、できるだけ早く、
自分なしでも生きていけるという実感を
持たせることですね。
「そこで、親として、配偶者として、
愛し愛される者として、あなたの愛を、
相手をしばるための接着剤にしてはならない。
そうではなくて、まず引きつけ、
つぎに転換させ、
反発させる磁石にしなさい。」
(p.156 – 157)
「あなたの愛によって、
愛する者を世界に押し出しなさい。
そして、彼らが自分自身を
充分に体験できるようにしむけなさい。
それが、ほんとうの愛である。」
(p.157)
縛り付けるのではなく、解放するのです。
相手を自由にさせること、
自由に生きていけるようにさせることが、
本当の愛なのです。
愛する者がいたとしても、
守らなければならないと特定の結果を求め、
恐れることは逆効果です。
恐ろしいことは起こらないと安心し、
大丈夫だと思い込むことです。
何が起ころうとも、
私たちは大丈夫なのです。
だから自分のことも、愛する人のことも、
心配しないこと。
愛する人がどういう経験をするかは、
その人に任せることです。
そして自分は自分として、
何を経験するかを意図的に選択すること。
それが、
神が示す生き方なのだと思います。
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幸せ実践塾・塾長
赤木篤 (あかき・あつし)
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