性を恥じてはいけない (18禁)
- 2017.11.10
- 神との対話②
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第7章の1回目になります。
性的な話題があるので、
念のために「18禁」にしておきました。
まあ、
それほどの内容でもありませんけどね。
ニール氏は神に、2つの性を作った理由、
生殖の方法がこうであるわけ、
セクシュアリティの経験への取り組み方
という問題を尋ねます。
神はまず、セクシュアリティに対して
どう向き合うべきかを話します。
「恥じてはいけない。それだけは確かだね。
それから罪悪感もいけないし、
不安もいけない。
恥じることは徳ではないし、
罪悪感は善ではないし、
不安はほめるべきことではないからだよ。
それから情欲もいけない。
情欲と情熱はちがう。
濫用もいけない。濫用と自由はちがう。
攻撃的になってもいけない。
攻撃は熱意とはちがう。
それから、当然ながら、
相手を支配しようとか、
力ずくで動かそうという考えもいけない。
そういうことは、
愛とは何の関係もないから。」
(p.110)
真っ先に「恥じる」こと、
「罪悪感を抱く」こと、
「不安を感じる」ことを否定します。
セックスを恥ずかしいものだとか、
性的な快感を感じることに罪悪感を抱くとか、
何か良くないことをしているんじゃないか
という不安を感じることは、
いずれも間違っているのです。
そして、
情欲の思いでセックスをすること、
セックスに溺れて乱用すること、
レイプなど攻撃的になること、
無理やりセックスを迫って
支配しようとしたり力づくになることも、
同じように間違いだと言います。
そう言ったことはすべて、
愛とは呼べないからです。
ここだけでも、これまでの価値観とは
随分違うと感じるのではないでしょうか。
これまでの価値観では、
セックスは恥ずかしいものだと
暗に感じていました。
ですからまず、
大っぴらに語ることができません。
夜に酒を飲んでからならまだしも、
昼食時におおっぴらに語るのは
不謹慎だと考えられています。
しかし、
性的な快感があることは事実です。
すると、
恥ずかしいことで快感を覚えることに、
罪悪感を感じたりもします。
特に、
愛の無い刺激に対して快感を感じるのは、
一般的な価値観ではNGです。
「淫乱」というレッテルを貼られ、
蔑まれることになりますから。
そういうふうに蔑まれるので、
不安になります。
「自分はおかしいのではないか?」
と感じてしまうのですね。
そういった感じ方を、
神はきっぱりと否定します。
これまで、キリスト教や仏教でも、
性はタブーでした。
性によって子孫を創っているにも関わらず、
聖職者は性と切り離され、
俗にまみれたものとみなされたのです。
しかし「神との対話」では、
そういう考え方を否定しているのです。
「では……セックスは
自分の喜びのためだけでいいのか?
驚くかもしれないが、答えはイエスだ。
なぜなら「自分の喜び」とは、
言い換えれば「自己愛」だから。」
(p.110)
セックスが許されるとしたら、
これまでは、
「愛」とともにあるセックスでした。
子孫を残すという崇高な行為でのみ、
セックスが正当化されたのです。
カトリックの伝統的な教えばかりか、
話題になった本「アナスタシア」でも、
同様のことが語られています。
※本の紹介はこちら
http://4awasejsn.seesaa.net/article/453321332.html
快感を感じるためだけのセックスは、
完全に否定されていました。
しかし「神との対話」では、
自分の喜びのためのセックスを肯定します。
「ずいぶん長いこと、
「自分の喜び」をめざすのはいけないことだ
と非難されてきた。
だから、セックスには、
罪悪感がつきまとうようになった。
自分だけの喜びのために、
個人的な欲求を満足させるのはいけない、
と言われてきただろう!
この言い方が矛盾しているのは
すぐにわかるだろうが、
そんな努力をしているとどうなるかは
わかっていない!
だから、
セックスの快感に罪悪感をいだくと、
少なくともそれで
セックスは罪ではなくなると考える。」
(p.110)
昔女性は、陰部を切って、
セックスに快感を感じないように
させられていたことがありました。
現代でも少し残っていますが、
割礼という行為です。
セックスで快感を感じるのは淫乱だ。
だから、
快感を感じないようにしたのです。
セックスは
子孫を残すための聖なる行為だ。
だから、セックスで快感を感じるのは、
生命への冒涜だと考えた。
セックスに快感を感じてしまうこと、
セックスに対する欲望を感じることは、
ダメな自分を認めることになってしまう。
だからせめて罪悪感を感じることで、
ダメな自分を許してもらおうとしたのです。
このことは、金儲けとよく似ています。
金儲けを恥ずかしいことだと考え、
あけすけなお金への欲望を否定しました。
ですから、金儲けをすることと、
苦痛を感じることをセットにして、
自分を許そうとしたのです。
「たいていのひとは、
大嫌いなことをして金を稼いでいる。
大嫌いでないまでも、
一生懸命に働いて稼いでいるのであって、
楽しくて楽しくて
たまらないことをしているのではない!」
(p.111)
仕事は苦しいものであり、
つまらないものであり、
苦痛を伴うものである。
そういう価値観を、
私たちは無意識に持っています。
そうやって我慢しているからこそ、
お金をもらうことの罪を
自分で許せるのです。
楽をして、
楽しみながらお金を稼いでいる人を見ると、
何か不正をしているに違いないと考え、
そういう人をディスります。
最近は、
少し変わってきたように思います。
堂々とお金儲けをしたいと考え、
そう表明する人も増えてきました。
しかしまだまだ、
上記のような価値観が根深くあります。
だから、病気でもなければ
有給休暇を取得できないのです。
楽をしたり楽しむことは、
許せないと考えているからです。
「いいかね、セックスを愛することは
ちっともかまわないんだよ!
それに、自分自身を愛することも、
ぜんぜんかまわない。
それどころか、務めですらある。
あなたがたにとってよくないのはセックスに
(いや、何にでも)おぼれることだ。
だが、好きになるのは「オーケー」だ!」
(p.111)
快感を感じることはOKなのです。
セックスでもお金儲けでも、
自分を楽しませることは良いことです。
問題なのは、それらに溺れること。
つまり、それらに依存してしまって、
問題(現実)を直視しなくなることです。
酒に溺れるのと同じですね。
セックスやお金儲けを好んで、
それを楽しむことはOKです。
そうやって自分を楽しませることは、
私たちの務めでもあると言います。
それは、
自分自身を愛することになるからです。
これまでのセックスに対する考え方、
感じ方とは大きく違う価値観を、
「神との対話」では提示しています。
この価値観を、
自分の中で書き換えられるかどうかが
大きなステップになると感じています。
なぜならこれは、
私たちの中に根強くある価値観であり、
変化に多大な痛みを伴うものである
と感じるからです。
大きな不安を
乗り越えなくてはなりません。
それだけに、
大きく進化成長できる試金石だと思うのです。
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赤木篤 (あかき・あつし)
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