常に愛しています
- 2017.12.28
- 神との対話②
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第15章の1回目になります。
第15章は大変短くて、たったの2行です。
けれども、とても味わい深いので、
全文を引用しましょう。
「わたしはあなたを愛しています。
ご存知ですか?
知っている。
そして、わたしもあなたを愛している。」
(p.232)
最初の文はニール氏の言葉です。
そして後の文が神の言葉です。
この短いやり取りの中に、
私はとても深遠なものを感じます。
まず、私たちが考えていることはすべて、
神が知っていることです。
本質的には「ひとつのもの」ですから、
神から隠されることなどないのです。
私が子どものころ、
ふとこんなことを考えたことがありました。
「ぼくが考えていることは、
ひょっとしたら神さまが
考えさせているのかもしれない。」
「でもそうすると、
「神さまが考えさせてる」
と考えていることも、
神さまが考えさせているのかなぁ?」
「すると、「神さまが考えさせてる」
と考えていることを、
神さまが考えさせていると考えることも、
神さまが考えさせているのかも…。」
こんな堂々巡りのようなことを
考えたことがあったのです。
ブログにそのことを書いていますので、
そちらもご覧ください。
「これは神様が私に
言わせているのだと思いました」
http://4awasejsn.seesaa.net/article/307508848.html
運命は決まっているという考え方に従えば、
そういうことになります。
この世は神の自作自演とも言えるわけで、
私たちが何を考え、何を言い、
どう行動するかということは、
すべて神の掌の上のことなのです。
これに関係することを、
かっこちゃんこと山元加津子さんも
次の本の中で言っています。
「手をつなげば、あたたかい。」
http://4awasejsn.seesaa.net/article/454981023.html
「ユダはもしかしたら、生まれる前に神様に
「イエスを裏切る役をしてほしい。
これからいっぱい
つらい目にあわせてしまうけれど、
そうしてほしい」と望まれて、ユダも、
「わかりました。そうしましょう」
と自分でユダになることを
選んだのかもしれません。」
(p.191)
「神との対話2」では、
ヒトラーの話が出てきます。
神は、
ヒトラーは天国へ行ったと言っています。
すべては神の計画にあり、
神が認めたことだけが起こっている。
ですから神は、
相手が誰であろうと関係なく、
どんな状況であろうと関係なく、
「愛している」と言われるのです。
この第15章の短い会話を味わって読む時、
私は深い安心感に包まれます。
私が何を考え、何を言い、
何をしようと関係なく、
神は私を受け入れ、愛してくださっている。
だから「大丈夫だ」と思えるのです。
「大丈夫」というのは、
「だいじょうぶ」とも読みますが、
「だいじょうふ」とも読みます。
元々中国では、
「丈夫(じょうふ)」は約1.7mの男性を表し、
成人男性のことを示す言葉だったそうです。
そこに「大」をつけて、
立派な男性、強い男性などの
意味になりました。
ですから、「大丈夫だろう?」と言って、
相手を励ましたのです。
あなたは立派な男性ですから、
間違いなくできるでしょう?
という意味です。
そこから「大丈夫です」が、
間違いなくやれますとか、
問題ありませんという意味になったのです。
私は、
究極の教えは「安心していること」
だと言っています。
安心しているとは、
「何があろうと大丈夫だ」ということです。
そして、
「何があろうと大丈夫だ」というのは、
自分が大丈夫(だいじょうふ)である
ということだと思うのです。
幕末、そのような大丈夫がいました。
坂本龍馬しかり、西郷隆盛しかり、
そして山岡鉄舟しかりです。
山岡鉄舟のことは、
神渡良平さんの小説を読むと、
とてもよくわかると思います。
「春風を斬る 小説・山岡鉄舟」
http://4awasejsn.seesaa.net/article/455189795.html
山岡鉄舟は、龍馬や西郷に比べると、
あまり知られていないように思います。
しかし西郷は次のように、
鉄舟を非常に高く評価していました。
「生命も要らず、名も要らず、
官位も金も要らぬ人は始末に困るものです。」
(p.248)
鉄舟は、書、剣、禅によって己を磨き、
常に精進を続けた人です。
その中で、深い悟りに至ります。
「禅がわしに与えてくれたものは、
わしは一人ではない、
いつも天が見守り導いてくださっている
という実感だ。
その実感があるから、
自分の行動に自信が持てるんだ。
これは天の行動だと思うから、
少しも怖気(おじけ)づかない。
だから”自分を信じる”ことと、
自分を地上に遣わされて”天を信じる”とは
同じことだよ。」
(p.453 – 454)
私たちは、
一度も神から分離したことはありません。
神とは存在のすべてであり、
「ひとつのもの」なのですから。
「何があっても大丈夫」とは、
その気付き(悟り)に至ること。
そしてそうであれば、
大丈夫(だいじょうふ)として
生きられるのです。
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