それでもすべては完璧だ

それでもすべては完璧だ

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話3」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第1章の8回目になります。

前回は、
道路で遊んでいる子どもがいたら、
それを叱る親は子どもを愛しているのか?
それともそれは愛ではないのか?
という質問について話をしました。

しかし、
その明確な答えが出てこないので、
心がざわざわしているかと思います。

神が話したのは、次のようなことでした。

自分を傷つけることも
傷つくこともできない。

出来事は様々なレベルで
自分が創り出している。

今は選択がころころ変わっているが、
望むなら変えないこともできる。

そういう生き方は、
私たちが成長を望むのなら
ふさわしい生き方になる。

大雑把にまとめましたが、
こういうことになるかと思います。

今回はその続きです。

「したがって、
あなたの身に何かが起こったら、
それで完璧なのだと考えればいい。
神の世界では
完璧でないものは何もないのだから。
あなたの人生、出会う人びとや場所、
出来事はすべて、完璧なる創造者によって
完璧に創出されたものだ。つまり、あなただ。
わたしがあなたとして、
あなたを通して創り出している。」
(p.41)

たとえ何が起ころうと、
それで完璧だと考えればいいと言います。

なぜなら、
完璧な神が創造したのだからと。

神は、私たちの選択には介入しませんが、
私たちが何を選択しているかは
完全に知っていると言います。

そして神が容認しているからこそ、
現実が創造されるのです。

ここまでで一区切りとなるのですが、
理解できましたでしょうか?

つまり、私たちは何を選択したとしても
まずいことにはならない
ということです。

この大前提を抑えておかないと、
まったくわからないことになります。

道路で遊ぶ子どもを連れ戻すのが愛か、
それとも子どもの自由にさせるのが愛か?

おそらく、どちらも愛なのです。

愛からの選択であれば。

そして、それが愛からの選択でなくても、
それでOKなのです。

なぜなら、まずいことにはならないから。

たしかにそういう選択によって、
見た目はまずいことが起こるでしょう。

たとえば、
子どもが車にはねられて怪我をする。

場合によっては死んでしまう。

あるいは無理やり連れ戻したため、
親に反抗するようになる。

非行に走るかもしれません。

けれども、それでも問題はないのです。

それでも完璧なのです。

ここでニール氏は、
さらに詳細な説明を求めます。

神は再び説明します。

「あなたの望みのすべてが
魂の望みと同じなら、非常に簡単だろう。
あなたのなかの純粋な「霊(いのち)」に
耳を傾ければ、決断はすべて容易で、
結果はすべて喜ばしいものとなるだろう。
なぜなら……霊の選択はつねに最高だから。」
(p.42)

様々なレベルで選択する時、
魂の選択に合わせないから
困難が生じると神は言います。

「あなたはしじゅう、
三つのレベルで同時に決断し、選択している。
それが、必ずしも一致するとは限らない。
(中略)
まだ未熟だから、
身体にとって「楽しい」ことと、
精神にとって理にかなっていることの
区別がつかない。
まして、魂への影響はわからない。」
(p.42)

私たちは、
身体、精神、霊魂の三位一体だ
と神は言います。

その3つのレベルで、
それぞれバラバラに選択しているのが、
まだ未熟な私たちなのです。

「あなたの選択が矛盾していて、
身体と精神と霊魂の動きが一体でなければ、
全部のレベルで
それぞれ創造のプロセスが進行し、
結果はめちゃくちゃになる。」
(p.42)

まあそういうことになりますね。

さらに、意識の決定レベルの中にも
複数のレベルがあると言います。

「精神は、少なくとも論理的なレベル、
直観的なレベル、感情的なレベルという
三つのレベルのどれかで決断し、
選択できるし、三つのすべてでも選択できる。
(中略)
また、感情のレベルには、
さらに五つのレベルがある。
つまり五つの自然な感情だ。
悲しみ、怒り、羨望、不安、そして愛。
さらにそのなかに、
最終的な二つのレベルがある。愛と不安だ。」
(p.43)

このように、
実にたくさんのレベルで選択していると
神は説明します。

しかし、
この説明から話がそれて行きます。

こういうところが、
このシリーズの内容を
わかりづらくしているのかもしれません。

「結局、すべての考えは、
愛か不安によって支えられている。
これが偉大な二極性だ。原始の二元性だ。
すべてはどちらかに還元される。
すべての思い、思考、概念、理解、決定、
選択、行動はこのどちらかに根ざしている。
しかも、究極的にはたったひとつしかない。
愛だ。じつは、愛こそすべてだ。
不安さえも愛の派生物であり、
効果的に使われれば愛の表現になる。」
(p.43)

この辺は、1冊目でも話している内容です。

究極的には神は愛であり、
愛がすべてなのです。

その本質の世界では愛を体験できないので、
愛の対極である不安を創った。

だから原始の二元性なのです。

不安が愛の表現になるというのは、
たとえば道路で轢(ひ)かれそうな
子どもを救う親は、
愛から生じた不安によって行動しています。

孟子はこれを惻隠の情と言っています。

自分のことを投げ出してでも
その生命を救おうとする。

生命の危機を感じたのは不安ですが、
それは愛に基づいているのです。

「ここに、
最高のかたちでは愛になる不安がある……
不安として現れた愛だ。」
(p.44)

究極的にはすべてが愛。

すべては愛から派生しているのです。

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