魂はどこにある?
- 2018.04.09
- 神との対話③
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話3」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第11章の3回目になります。
第11章ではここまで、
魂のことを語ると言いながら、
なかなか本題に入りませんでした。
前回までは、精神がある場所が
身体のどこかという話でした。
その話の流れで、
性的なエネルギーの話になりました。
今回は、まずはここまでのまとめとして、
神は次のように言います。
「脳にはいちばんたくさん細胞があるから、
脳に精神があるように見える。
だが、
脳は主たる処理センターではあっても、
唯一のセンターではない。」
(p.213)
精神はエネルギーであり、
そこで生み出される思考も
またエネルギーです。
その精神は、
すべての細胞に宿ります。
各細胞は、その精神の思考を読み取り、
物理的なシグナルへと変換します。
これが、ここまでの説明です。
では、魂はどこにあるのでしょうか?
神は、こう答えます。
「あらゆるところだよ。」
(p.213)
精神は、各細胞に宿ります。
つまり精神は、
細胞間には存在しないのですね。
したがって、
「あらゆるところ」ではありません。
しかし魂は、
「あらゆるところ」に存在すると言います。
「魂はあなたの身体より大きい。
魂は身体とともに運ばれるのではなく、
身体をなかに入れて運んでいる。」
(p.214)
「「オーラ」のことを聞いたことがあるかな?
あなたがたの言葉、あなたがたの理解で、
その存在の大きさ、
複雑さを思い描くうえでは、
あれが最も近いだろう。
魂はあなたをたばねているものだ。」
(p.215)
私たちが言う「オーラ」が、
魂だと考えてよいのですね。
オーラは身体から発するものではなく、
オーラの中に身体や精神を束ねている。
そしてオーラは、
身体から外に向かって光を放ちながら、
少しずつ薄まっていくように見えます。
では、
どこまでが「私」の魂(オーラ)で、
どこからが他の人の魂なのでしょう?
ここでニール氏は気づきます。
「べつのひとの魂が「終わって」、
わたしたちの魂が「始まる」場所なんて
ないんだな!」
(P.215)
リビングルームの空気と
ダイニングルームの空気がつながっていて、
その境がないように、
すべて同じ空気であり、
同じ魂なのです。
「どうして
いままでわからなかったかと言えば、
身体がきちんとした容器で、
「この身体」と「あの身体」は
はっきりと区別でき、
魂は身体に宿っているものだ
と思っていたので、
「この魂」と「あの魂」も
区別できると考えていたからなんですよ。」
(P.216)
たしかに、魂が身体に宿ると言われれば、
個別の魂があるかのように感じます。
それが、本当はその逆で、
魂の中に身体や精神があるとなると、
魂のイメージも大きく変わります。
さらにニール氏は、
次のようなことに気づきます。
「ひとつの魂が終わって
べつの魂が始まる場所がないとすれば、
個別の魂なんて
ないことになりはしませんか?」
(P.217)
これについて神は、
「そうでもあるし、そうでないともいえる。」
と答えます。
これもまた「神聖なる二分法」なのだと。
「宇宙で悠々と生きていこうと思うなら、
神聖なる二分法を学び、
充分に理解することが大事だ。
神聖なる二分法とは、
一見矛盾する二つの真実が同じ場で
同時に存在しうるということだ。」
(P.218)
個別の魂はないという真実と、
個別の魂があるという真実が、
同じ場で同時に存在し得るのです。
そしてこれが、
神聖なる二分法の最大のものだ
と神は言います。
こういうことは、
物理の世界でもよく知られています。
たとえば光の波動性と粒子性です。
音や海の波は波動ですから、
空気や水を媒体として、
その振動として伝わります。
光もまたその性質を有しています。
しかしその一方で光には、
光子と呼ばれる粒子の性質もあります。
こういう矛盾した真実が、
同じ場で同時に存在し得るのです。
「これを受け入れなければ、
悠々と生きていくことはまず不可能だ。
しょっちゅう不平を言い、怒り、のたうち、
むなしく「正義」を
求めつづけなければならない。」
(P.218)
神聖なる二分法を受け入れることは、
悠々と生きるためにも必要なのです。
それをせず、
正反対の力を融和させようと努力しても、
それは無駄だと言います。
「だがそんな力は融和するはずがない。
それどころか、
もともと両者が緊張しているから、
好ましい効果が生まれているのだ。
じつをいえば、相対性の領域は
この緊張によってたばねられている。
たとえば、善と悪の緊張だ。」
(p.219)
究極の現実には、善も悪もありません。
ただ「愛」が存在するだけです。
ですが、相対性の領域では、
「悪」と呼ぶ経験を創造することで、
「善」と呼ぶ経験が可能になります。
このように、片方を使って、
別の片方を経験できるようにすることが、
神聖なる二分法なのです。
「あるのは「ひとつ」だけだから、
「魂はひとつ」しかない。
しかし、
「ひとつ」のなかには多くの魂がある。」
(p.219)
「魂は生命エネルギーで、
すべての物質的な客体の内外に
(オーラとして)存在する。
それがすべての物質的な客体を
「たばねて」存在させているとも言える。」
(p.219)
このように、魂もまた究極の現実である
「ひとつの魂」と、
相対的な現実である「無数の魂」とでは、
違いがあります。
そのどちらも真実であり、
相異なる2つの真実が、
同時に存在するのです。
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