愛なら何をするか?

愛なら何をするか?

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第8章の7回目になります。

前回は、私たちはまだ魂の仕事の段階で、
様々な自分を創造しているという話でした。

その段階を過ぎると、
神の仕事の段階に入ります。

それは、さらに成長するために、
焦点を絞って創造する段階なのです。

「<マスター>とは、
つねに同じ回答を出すひとたちだ。
その回答とは最も気高い選択である。」
(p.174)

私たちは、その日の気分によって、
毎回選択することが違ってきます。

普段なら笑って許せることが、
イライラしていると癇癪のタネに
なってしまうこともあります。

しかし、悟った人というのは、
毎回同じ選択をするというのです。

その選択とは、「気高い選択」です。

ではその「気高い選択」というのは、
どのようなものでしょうか?

その答えを出すために、神は、
マスターではない者の選択について
このように言います。

「気高い選択とは何か、ではなく、
最も有利な選択とは何か、あるいは、
どうすれば失うものを最小限にできるか
という疑問だ。」
(p.174)

つまり凡人の選択基準は、
「気高い選択」かどうかではなく、
「最も有利な選択」とか、
「失うものを最小限にできる選択」
という基準なのですね。

実際、私などもよく考えるのは、
得するかどうかです。

同じ物を買うのに、
こっちの店で買うのが「得か」、
いつ買うのが「得か」など、
損得ばかり考えます。

「被害をおさえるとか、
できるだけ得をするという観点から
人生を生きていると、
人生の真の利益を失ってしまう。
機会が失われる。チャンスを見のがす。
そんな人生は、
不安に駆りたてられて生きる人生だし、
そんな人生を送るあなたは、
ほんとうのあなたではない。
なぜなら、あなたは不安ではなく愛だから。
愛は何の保護も必要としないし、
失われることもない。」
(p.175)

以前、私たちの動機は、
究極的には愛か不安だと書いてありました。

もし、
「お金がなくなる」という不安があれば、
私たちは
「得するかどうか」で判断するでしょう。

しかし、もしその不安がなければ、
私たちはどんな基準で判断するでしょうか?

「だが、第一の疑問ではなく、
第二の疑問に答えつづけているかぎり、
愛を経験的に知ることはないだろう。
得たり失ったりするものがあると
考える人間だけが、
第二の疑問をいだくのだから。」
(p.175)

「気高い選択とは何か」という疑問ではなく、
「最も有利な選択とは何か」という疑問。

その疑問に答え続ける限り、
愛を経験的に知ることはない。

そう神は言います。

「クリスマス・キャロル」
という映画や劇があります。

この物語のテーマは、
まさにどういう選択基準を持つか、
というものでした。

不安を動機としてお金を握りしめるのか、
それとも愛を動機として手放すのか。

私たちにとって、「気高い選択」とは、
どちらの選択なのでしょう?

「第二の疑問をいだく者は
「わたしの身体、それがわたしだ」と言う。
第一の疑問をいだく者は、
「わたしの魂、それがわたしだ」と言う。」
(p.175)

身体にこだわっている限り、
私たちは何かを必要とします。

食べ物が必要だ、着るものが必要だ、
住む家が必要だ、・・・。

しかし、自分が魂だと知っていたら、
それらが必要でしょうか?

必要性を手放した者だけが、
本当の自分を得ることができるのです。

「すべての人間関係の決定的な接点において、
問題はひとつしかない。
「いま、愛なら何をするだろうか?」
ほかのどんな疑問も無縁であり、
無意味であり、
あなたの魂にとって重要ではない。」
(p.175)

「気高い選択」とは、
「愛かどうか」「愛ならどうするか」
という選択なのです。

年末になると、
劇団サザン天都という有志の団体が、
バンコクでミュージカルを上演します。

以前に「クリスマス・キャロル」を観て、
とても感動しました。

それ以来、毎年のように観に行っています。

2015年は、「幸福の王子」でした。

金の像の王子が、貧しい人のために、
自分の身体を包む宝石や金箔を、
ツバメに運んでもらう物語です。

最後、すべてを与え尽くした王子は、
みすぼらしい姿となって、
取り壊されてしまいます。

またツバメは、
寒さのために死んでしまいます。

彼らは、すべてを失ったのでしょうか?

私は、そうは思いません。

彼らの姿を見て「悲劇」だと感じる人は
多くいることでしょう。

しかし、永遠の生命を信じるなら、
彼らはすべてを得たのだとわかります。

彼らにはもう、何も必要ではなかった。

だから与え尽くすことができました。

与え尽くすことで、
彼らは幸せだったのです。

幸せ以外に、
何を望むことがあるでしょう?

お金を得たいのも、
幸せになりたいからではありませんか?

お金がなければ幸せになれない。

そう思っているから、
お金にしがみつくのでしょう?

でも彼らは、
すべてを与えつくしました。

それでも幸せだったのです。

「いま、愛なら何をするだろうか?」

本当の私たちが目指すべきは、
その疑問に答えることなのです。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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