「明日の神」は何も必要としない

「明日の神」は何も必要としない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「明日の神」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第13章の1回目です。

「ひとつである」ということは、
「新しい霊性」の基礎となる真実だ
と神は言います。

しかし、私たちの多くはまだ、
この重要性がわかっていないのだと。

「このたったひとつの考え方が
「受け入れられた」ら、すべてが変わる。
この思いがあなたがたの無意識にしみこみ、
自然な本能になったら、
この概念が人生哲学になり、
あなたがた人類という種を
動かすようになったら、すべてが変わる。」
(p.192)

世界がガラッと変わるほど
大きな影響力があるメッセージなのです。

「何度でもくり返し語る価値のある
大きなこと、
何度でもそこに戻るべき
大きな価値のあることなのだ。」
(p.193)

そこで神は、
このメッセージを再び示します。

「覚えておくべき言葉は、これだけだ。
--わたしたちはみなひとつである。」
(p.193)

この考え方を繰り返し教え、
世界に広めるようにと神は言います。

そして、
まずは自分自身がそれを受け入れ、
そのように生きるのだと。

何かを選択する時、決断する時、
まずこの考え方を手本にすること。

そうやって、
自分自身の考えを意識的に変えるのです。

ここで、
「新しい霊性」のその他の基本原則を
神は示します。

それは、
「昨日の神」と「明日の神」の
重要な違いの7番目になります。

「7.「明日の神」には、何も必要がない。」
(p.194)

さらに、「必要がない」という言葉には、
2つの意味があると言います。

「第一に、あなたがたは
何も必要としない存在として神を
経験するだろう。
つまり、神は必要がない。
第二に、あなたがたは
神を必要としないという経験をするだろう。」
(p.194)

1つ目は、
神は何も必要としないということです。

これまで何度も語られているように、
「存在のすべて」が何かを必要とするなら、
それは矛盾しているのです。

すべてがあるのですから、
それ以外の必要なものは何もありません。

2つ目は、
私たちも何も必要としないということです。

これは、にわかには信じがたいでしょう。

けれども、私たちの本質が魂であり、
神とひとつのものであるとするならば、
神が何も必要としないように、
私たちも何も必要としないはずなのです。

しかし、「昨日の神」を信じている人は、
神が何かを必要としている
ということを信じています。

表面的には神に必要性はないと言っても、
心の底ではそうは思っていない。

ですから矛盾が生じます。

これを前に、
2つの顔を持つ神を信じている
と言ったのです。

「「昨日の神」には二つの顔がある。
だが「明日の神」は
そんなにわかりにくくはないよ。
「明日の神」にはそんな分裂した性格はない。
「明日の神」が言うことは単純だ。
「わたしはあなたがたに何も求めない。
あなたがたはしたいようにしたらいい。
わたしはあなたがたに自由意志を与える」」
(p.199)

既存の宗教でも、
神は人間に自由意志を与えたと言います。

人間の自由意志で神の規則を守ることを
望んでいるのだと。

そして、神の規則を破ったならば、
神は泣きながら罰を与える。

「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という
言葉があるように、
神といえどもその掟を守らなければならない。

規則を破れば罰を与えるというのは、
自然法則のようなものであると。

しかし、
それは本当に自由と言えるでしょうか?

罰という結果を引き受けるなら
自由だとも言えます。

しかし、
神が一方的に定めた規則を守らせるなら、
それは自由ではなく独裁ではありませんか。

神は独裁者で、
自分の定めた規則を
人間に守らせようとしている。

だから、
守らない人間には罰を与えるのです。

そう考えていけば、
「昨日の神」は本当の自由を与えていない
ということがわかります。

それは、「昨日の神」が、
人間の特定の行為を必要としているからです。

このように、
「昨日の神」を信じる人は、
何かを必要とする神を
信じていることになります。

それが、
私たちも何かを必要とするという考えに
つながるのだと神は言います。

「自分には何も必要ないと考えられないのは、
何も必要としない神さえ
考えられないからだよ。」
(p.202)

神でさえ必要とするのに、
人間である自分が必要としないわけがない。

この根拠には説得力があります。

だから捨てられないのです。

「あるいは逆かもしれないね。
あなたがた自身についての考え方が、
神についての考え方を
形づくっているのかもしれない。」
(p.202)

最初に、
私たちは何かを必要とすると考えた。

だから、
神も同じように何かを必要とすると考えた。

神のことを、
もっと大きなヴァージョンの人間だ
と考えているのです。

「ほとんどのひとが、
神はもっと大きくて
もっと力強いヴァージョンの人間だ
と思っている。」
(p.203)

聖書には、
わたしたちは神に似せて、
神をかたどって創られたと書かれています。

だから逆に、
人間の姿かたちから神を想像したのです。

人間と同じように、何かを必要とする神。

それは矛盾することがわかっても、
捨てられなかった信念なのです。

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