この世は学校ではない 【総集編】
- 2018.07.02
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
すでに全体の解説が終わっていますが、
私が「これはすごい!」と感じた点を
ピックアップして解説したいと思います。
今日はその1回目です。
宗教やスピリチュアルの世界ではこれまで、
この世は魂の修行場であるとか
学んで成長するための学校である
という説明がほとんどでした。
学校や修行場ですから、
苦しいことやつらいことがあるのも当たり前。
魂を磨いて成長させて、
高級霊に進化していかなければなりません。
しかし、「神との対話」は、
言下にこれを否定しています。
ニール氏のセリフの前には「ニ」を、
神の台詞の前には「神」をつけて引用します。
「ニ:人生は学校ですか?
神:いや。
ニ:何かを学ぶために、生きているのですか?
神:違う。
ニ:それでは、何のために
この世に生きているのですか?
神:自分が何者であるかを思い出すため、
そして創りなおすためだ。」
(p.37 – 38)
「思い出す」とか
「創りなおす」と言われても、
いまいちピンときません。
それより、
学校とか修行場というのであれば、
これまで何度も聞いているので
耳に馴染んでいます。
それをいきなり否定されたのですから、
そちらの方がショックですよね。
「神:学校とは、
知らないことを教わりたいと思うとき、
行くところだ。すでに知っていて、
その知識を体験したいというときに
行くところではない。
(あなたがたの言う)人生とは、
概念として知っていることを
体験的に知る機会だ。何も学ぶ必要はない。
すでに知っていることを思い出し、
それにもとづいて行動すればいい。
ニ:よく、わからないのですが。
神:それでは、はじめから説明しよう。
魂--あなたがたの魂--は、
知る必要のあることはすべて知っている。
隠されていることは何もないし、
知らされていないこともない。
だが、知っているだけでは、充分ではない。
魂は体験したがっている。
自分が寛大であることを知っていても、
寛大さを示す何かをしなければ、
概念にすぎない。
親切であることを知っていても、
誰かに親切にしなければ、
自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を
偉大な体験に変えたい、
それが魂の唯一の望みだ。」
(p.38 – 39)
このように神は、
学校説や修行場説を完全否定し、
新たな概念を説明するのです。
このことはそのまま、
「何のために生きるのか?」
という問の答えでもあります。
何かを学んで賢くなるためでも、
魂を磨いてレベルを上げるためでもない。
ただ経験することが、
私たちの人生の目的なのです。
私は、
この部分を読んでとても驚きました。
なぜなら、
これまでにない新しい概念だったからです。
これまでの概念である学校説や修行場説は、
重大な欠陥がありました。
それは、
なぜ学ばなければならないのか、
なぜ修行して磨かなければならないのか、
ということの答えがなかったからです。
もし、みなさんが興味を持たれたなら、
どうぞ検証してみてください。
これまで、
学校説や修行場説を言っている人で、
その理由を説明した人はいませんから。
少なくとも私は、
その理由を明快に述べている人を知りません。
なので、もしいらしたら、
(本当に興味があるので)
ぜひ教えてほしいくらいです。
これは実は、
この世の学校に通うのと同じなのです。
なぜ学校へ行って学ばなければならないか?
明快に説明できる人、いますか?
「将来困るから」とか、
「そうすれば幸せになれる」
というのはダメですよ。
どんな理由でも論破できますが、
簡単に言えばそれはその人の課題だからです。
アドラーの言う「課題の分離」ですね。
学校へ行かなくて困るのも不幸になるのも、
その人の問題です。
したがって、
その人がそれでも行かないと言えば、
もはや行く理由がなくなります。
同じように、魂の学校もそうなのです。
この世で生きるのはつらく苦しいからと、
その人が「学校へ行くのは嫌だ」と言ったら、
もはや止める理由はないのです。
修行に嫌気が差して
「もうリタイヤするよ」と言ったら、
それを止める方法がありません。
それでやめてしまったら、
人生の目的はどうなってしまうのでしょう?
目的を達成できない中途半端な魂が、
ごろごろしているのでしょうか?
神は、
そんな不完全なものを創ったのでしょうか?
もし、やめられないとすれば、
強制してつらい目に合わせることは、
「愛」と言えるのでしょうか?
これらの問に明快に答えられなければ、
論理矛盾だと私は思います。
私が昔入信した
世界基督教統一神霊協会(略称:統一教会)
では、こういう教義がありました。
私たちが存在する理由は「神が喜ぶため」
ということです。
この世で、親が子を生み育てるのも、
「子孫を残さなければならないから」
ではありませんよね?
単に嬉しいからです。
それ以外の理由は、後付によるものです。
同じように神も、ただ喜びたいから
子どもとしての人間を創った
ということなのです。
この考え方には説得力がありました。
だから私は、
これは信じてみるに足る教義だ
と思ったのです。
※それで入信しましたが、
3年後には棄教しました。
※詳細はブログの
「私のプロフィール」にありますので、
そちらをご覧ください。
しかし、
この考え方にも欠点がありました。
私が統一協会を離れるきっかけになった
考え方です。
「そんなの、親のエゴじゃないか!」
子どもが幸せなうちは、
親を喜ばせたいと思います。
しかし、親が子どもの幸せのために
何ら手助けすらせず要求ばかりだったら、
子どもの堪忍袋の緒が切れるのです。
親(神)に求めても愛を感じない時、
親を愛する気にはなれません。
その時、親を喜ばせることは
私たちの生きる目的ではなくなるのです。
このように、
「私たちはなぜこの世で生きるのか?」
という問の答えを考えた時、
これまでの答えは不十分でした。
しかし「神との対話」では、
新たな概念を持ってくることで、
私には充分な答えになったのです。
それが、「経験をするため」という、
何ともピンと来ない答えだったのです。
長くなったので、
この話は次回に続きます。
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赤木篤 (あかき・あつし)
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http://4awasejsn.seesaa.net/
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