この世は学校ではない 【総集編】

この世は学校ではない 【総集編】

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

すでに全体の解説が終わっていますが、
私が「これはすごい!」と感じた点を
ピックアップして解説したいと思います。

今日はその1回目です。

宗教やスピリチュアルの世界ではこれまで、
この世は魂の修行場であるとか
学んで成長するための学校である
という説明がほとんどでした。

学校や修行場ですから、
苦しいことやつらいことがあるのも当たり前。

魂を磨いて成長させて、
高級霊に進化していかなければなりません。

しかし、「神との対話」は、
言下にこれを否定しています。

ニール氏のセリフの前には「ニ」を、
神の台詞の前には「神」をつけて引用します。

「ニ:人生は学校ですか?

神:いや。

ニ:何かを学ぶために、生きているのですか?

神:違う。

ニ:それでは、何のために
この世に生きているのですか?

神:自分が何者であるかを思い出すため、
そして創りなおすためだ。」
(p.37 – 38)

「思い出す」とか
「創りなおす」と言われても、
いまいちピンときません。

それより、
学校とか修行場というのであれば、
これまで何度も聞いているので
耳に馴染んでいます。

それをいきなり否定されたのですから、
そちらの方がショックですよね。

「神:学校とは、
知らないことを教わりたいと思うとき、
行くところだ。すでに知っていて、
その知識を体験したいというときに
行くところではない。
(あなたがたの言う)人生とは、
概念として知っていることを
体験的に知る機会だ。何も学ぶ必要はない。
すでに知っていることを思い出し、
それにもとづいて行動すればいい。

ニ:よく、わからないのですが。

神:それでは、はじめから説明しよう。
魂--あなたがたの魂--は、
知る必要のあることはすべて知っている。
隠されていることは何もないし、
知らされていないこともない。
だが、知っているだけでは、充分ではない。
魂は体験したがっている。
自分が寛大であることを知っていても、
寛大さを示す何かをしなければ、
概念にすぎない。
親切であることを知っていても、
誰かに親切にしなければ、
自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を
偉大な体験に変えたい、
それが魂の唯一の望みだ。」
(p.38 – 39)

このように神は、
学校説や修行場説を完全否定し、
新たな概念を説明するのです。

このことはそのまま、
「何のために生きるのか?」
という問の答えでもあります。

何かを学んで賢くなるためでも、
魂を磨いてレベルを上げるためでもない。

ただ経験することが、
私たちの人生の目的なのです。

私は、
この部分を読んでとても驚きました。

なぜなら、
これまでにない新しい概念だったからです。

これまでの概念である学校説や修行場説は、
重大な欠陥がありました。

それは、
なぜ学ばなければならないのか、
なぜ修行して磨かなければならないのか、
ということの答えがなかったからです。

もし、みなさんが興味を持たれたなら、
どうぞ検証してみてください。

これまで、
学校説や修行場説を言っている人で、
その理由を説明した人はいませんから。

少なくとも私は、
その理由を明快に述べている人を知りません。

なので、もしいらしたら、
(本当に興味があるので)
ぜひ教えてほしいくらいです。

これは実は、
この世の学校に通うのと同じなのです。

なぜ学校へ行って学ばなければならないか?

明快に説明できる人、いますか?

「将来困るから」とか、
「そうすれば幸せになれる」
というのはダメですよ。

どんな理由でも論破できますが、
簡単に言えばそれはその人の課題だからです。

アドラーの言う「課題の分離」ですね。

学校へ行かなくて困るのも不幸になるのも、
その人の問題です。

したがって、
その人がそれでも行かないと言えば、
もはや行く理由がなくなります。

同じように、魂の学校もそうなのです。

この世で生きるのはつらく苦しいからと、
その人が「学校へ行くのは嫌だ」と言ったら、
もはや止める理由はないのです。

修行に嫌気が差して
「もうリタイヤするよ」と言ったら、
それを止める方法がありません。

それでやめてしまったら、
人生の目的はどうなってしまうのでしょう?

目的を達成できない中途半端な魂が、
ごろごろしているのでしょうか?

神は、
そんな不完全なものを創ったのでしょうか?

もし、やめられないとすれば、
強制してつらい目に合わせることは、
「愛」と言えるのでしょうか?

これらの問に明快に答えられなければ、
論理矛盾だと私は思います。

私が昔入信した
世界基督教統一神霊協会(略称:統一教会)
では、こういう教義がありました。

私たちが存在する理由は「神が喜ぶため」
ということです。

この世で、親が子を生み育てるのも、
「子孫を残さなければならないから」
ではありませんよね?

単に嬉しいからです。

それ以外の理由は、後付によるものです。

同じように神も、ただ喜びたいから
子どもとしての人間を創った
ということなのです。

この考え方には説得力がありました。

だから私は、
これは信じてみるに足る教義だ
と思ったのです。

※それで入信しましたが、
3年後には棄教しました。

※詳細はブログの
「私のプロフィール」にありますので、
そちらをご覧ください。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/287881615.html

しかし、
この考え方にも欠点がありました。

私が統一協会を離れるきっかけになった
考え方です。

「そんなの、親のエゴじゃないか!」

子どもが幸せなうちは、
親を喜ばせたいと思います。

しかし、親が子どもの幸せのために
何ら手助けすらせず要求ばかりだったら、
子どもの堪忍袋の緒が切れるのです。

親(神)に求めても愛を感じない時、
親を愛する気にはなれません。

その時、親を喜ばせることは
私たちの生きる目的ではなくなるのです。

このように、
「私たちはなぜこの世で生きるのか?」
という問の答えを考えた時、
これまでの答えは不十分でした。

しかし「神との対話」では、
新たな概念を持ってくることで、
私には充分な答えになったのです。

それが、「経験をするため」という、
何ともピンと来ない答えだったのです。

長くなったので、
この話は次回に続きます。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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