愛はプロセスを気にしない

愛はプロセスを気にしない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第1章の5回目になります。

前回は、感謝によって創造する
という話でした。

今回はその続きになります。

「あなたの生き方はあなたの生き方であって、
わたしはそれを、
良いだの悪いだのと判断したりしない。」
(p.28)

これは、前回の最後に引用した部分です。

これに関して神は、次のように言います。

「あなたが何をしようが、
わたしには関心がない。
そう聞くとつらいかもしれない。」
(p.28)

たしかに、
神から関心を持たれていないということは、
とても辛く感じますよね。

しかしこのことが、
私たちが愛を誤解している点なのです。

「だが、
遊びに出た子供たちが何をするかに、
あなたは興味があるだろうか。」
(p.28)

そう言われてみれば、たしかにそうです。

子どもが何をして遊ぼうと、
そんなことはどうでもいいはずです。

危険なことや、
他人に迷惑をかけるようなことを
するのでなければ。

「だが、子供たちが危ない遊びをするのを
止めることはできない。
いつも、いつまでも、死ぬまで
危険からまもってやることはできないのだ。」
(p.28)

どこかで子離れする必要があります。

その後は、子どもを信頼して、
しっかりやれよと励ますほかありません。

けれども、いつも子どものことを案じ、
何かあれば助けようと考えています。

それが親というものですね。

「賢い親ならそれを承知している。
だが、結果についての
親の心配は決して消えない。
この二分法--
プロセスについてはあまり気にせず、
結果について深く懸念するということ--
これが、神の二分法に近い。」
(p.29)

心配しながらも子どもを信頼する。

それが神の考え方であり、
本当の愛なのだと思います。

では、このことが私たちの生き方と
どう関係するのでしょうか?

私たち人間は神の子であり、神は、
子どもがどうやって遊ぶ(生きる)か、
関心がないと言っています。

しかし、最終的な結果、
つまり神であることを思い出すことは、
懸念しているということです。

ここでは前半の、
私たちの生き方について考えてみましょう。

神は、私たちがどう生きようと
知ったことじゃない、と言っています。

右へ行こうと左へ行こうと、
そんなことはどうでも良いのです。

なぜなら、どんな生き方をしようと、
いずれは神であることを思い出し、
神に還るからです。

神が心配するのは、
その結果に至るかどうかであって、
そのプロセスはどうでもいいのですね。

このことからも、
神が私たちの生き方に対して、
「良い」だの「悪い」だのと
判断しないことがわかります。

したがって、
「悪い」から「罰する」などということも
あり得ないのです。

私たちは完全に自由であり、
神の目からすれば
どんな生き方でもOKなのです。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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