人生とは創造しつづけること

人生とは創造しつづけること

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第5章の5回目になります。

私たちは創造しますが、
それは現実ではなく幻想です。

いわば夢を見るようなものだと言います。

ですから、自分が望まない現実に対して、
抵抗しない方が良いのです。

抵抗すればするほど、
相手は強くなっていくからです。

なぜそうなるのかを、
以下のように説明します。

「現実だと感じないものに
抵抗することはできない。
抵抗するということは、
相手に生命を付与することだ。
(中略)
目を開いて見つめれば、相手は消える。
相手は幻想という実態をさらけ出す。」
(p.139)

つまり「抵抗する」ということは、
「相手は現実だ」と認めたことになります。

そう信じたことになります。

そして、そう自分が信じたのであれば、
それが現実になります。

創造とは、そのように働くのでしたよね?

ですから、
抵抗せずに見つめれば良いのです。

抵抗せずに見つめるとは、
「ああ、そういう現実があるんだなあ。」
と客観視することです。

「嫌だ。消えてしまえ!」などと、
感情的にならないこと。

ただ、「あるんだな」とか、
「そう見えているんだな」と思うこと。

これは、自分の感情をしっかりと感じる、
というやり方と同じです。

「ああ、怒りを感じているんだなあ。」
と感情を受け入れることです。

ここで著者のニール氏は、
幻想に消えてもらいたくなければ
どうするのかと尋ねます。

すると神は、こう答えます。

「あなたはつねに
相手が消えることを望むはずだ!
現実には、
相手にしがみつく必要はまったくない。」
(p.140)

これは、非常に深い意味があります。

つまり、創造の結果である幻想は、
次々と違うものが現れることを、
私たちは本質的に望むと言うのです。

考えてみればたしかにそうで、
同じドラマばかり見たくはないでしょう。

「こうして、あなたは
持とうと選択したものを手に入れ、
経験したくないと思ったものは
人生からとり除くだろう。」
(p.140)

つまり、創造のツールを自由に操り、
思い通りの経験を手に入れるようになる
ということです。

これはもちろん、私たちが創造者として
自覚できたときに、ということです。

そしてニール氏は、
「これは欲しくない」という考えにも
しがみついてはいけないのかと尋ねます。

神は、こう答えます。

「欲しくないのなら、なぜ、考えるのか?
いつまでも考えているのはやめなさい。」
(p.140)

ここのやりとりを見ると、
まだ現実に反応する考え方のニール氏と、
自分がすべてを創造していると知っている
神との違いがよくわかります。

創造者という自覚があり、
思考が現実を創造していると知っていれば、
欲しくないもののことを考えるのは
おかしなことだと明白だからです。

「だが、どうしても考えたいなら--
考えずにいられないのなら--
抵抗しないことだ。
それよりも、率直に相手を見つめ--
あなたが生み出した現実を受け入れ--
それからそれをとっておくか、捨てるか、
好きなほうを選びなさい。」
(p.140)

これは弱い私たちへの優しさですね。

どうしても考えてしまうこと、
誰にもあると思います。

私も失恋した時はそうでした。

その時は、
その現実も自分が創造したのだなあ
と受け入れることです。

そしてそれが不要な現実なら、
この現実はもう要らない
と決めれば良いのです。

抵抗せずに選択を変えるのです。

ニール氏は重ねて、
思考を選ぶ基準を尋ねます。

「自分が何者だと思うか。
そして、何者になりたいと思うか。
これがすべての選択基準である--
これまでも、これからも、
すべての人生の選択基準である。」
(p.140)

神の答えは一貫しています。

私たちは、自分自身を体験的に知るために、
創造を続けている存在です。

だとしたら、
何を基準に創造するかと言えば、
「自分の中のどんな自分を経験したいか?」
という問しかありません。

「真の悟りとは捨てることではなく、
違う選択をすることだ。」
(p.141)

嫌なもの、もう充分だと思ったものに、
考えを残す必要はないのです。

常に、これから何を経験したいのか、
という考えをすべきなのです。

「ただし、間違った道というものはない。
この旅は、目的地に
「行き着かない」旅ではありえないから。
違うのは、
いつそこに着くかということだけである。
しかも、これさえもほんとうは幻想だ。
「いつ」ということはないし、
「その前」も「その後」もない。
つねに現在があるだけだ。
あなたが自分を経験しつづける
永遠の時があるだけだ。」
(p.141)

わかったような、わからないような、
そういう答えだと感じるかもしれません。

いっそ、目的地のある旅ではない、
と考えた方がわかりやすいかもしれません。

私たちはつねに、何かを創造し続け、
それによって
自分自身を経験し続けています。

その経験に「間違った」というものは
あり得ません。

神は「存在のすべて」であり、
私たちが経験するものは必ず
「神の一部」であるからです。

したがって、
どんな経験も神聖なものであり、
無駄な経験はありません。

ニール氏は、
行き着かない旅に何の意味があるのか、
どうして心配し続けなければ
ならないのか、と問います。

「もちろん、心配などする必要はない。
ただじっと見つめていればいい。
自分は何者であるか、何をしているか、
何をもっているか、
それが自分のためになるかに気づけばいい。」
(p.141)

結果に執着しないのであれば、
心配する必要はありません。

私たちの目的は行為による経験ですから、
その経験を観察すれば良いのです。

「人生の意味とは、
どこかに行き着くことではない--
自分がすでに、そこにいること、
これまでもずっとそこにいたし、
いつもいると気づくことである。
あなたがたはいまもこれからもつねに、
純粋な創造の過程にある。
人生の意味とは創造である。
自分を創造し、それを経験することである。」
(p.141 – 142)

これもちょっと詩的な表現で、
わかりづらいかもしれませんね。

前半は要は、
人生は目的地のある旅ではない、
ということです。

どこかに到達することに、
人生の意味があるわけではありません。

したがって、成功することとか、
金もちになることとか、
あるいは進化成長することさえ、
人生の意味ではないのです。

人生の意味とは、
自分を創造することであり、
それによって自分を経験することです。

進化成長は、自然に行われます。

それは神のプロセスに組み込まれています。

赤ちゃんは、
努力して成長するわけではありません。

ただ生きることを楽しんでいるだけです。

私たちも同じように、ただ安心して、
自分が創造するものを楽しみ、
それによって生じる経験を味わえば、
それで良いのです。

そうしていれば自然と進化成長し、
元々の神である自分を徐々に思い出し、
さらに思い通りに創造できるようになります。

それが「神との対話」で、
神が示していることだと思うのです。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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