心の声にしたがう

心の声にしたがう

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第1章の8回目になります。

前回は、愛と不安の関係
という話でした。

今回はその続きになります。

「あなたがたはもちろん、
不安に支えられた行動を選択する。
そう教えられてきたからだ。
だが、教えてあげよう。
愛に支えられた行動をとれば、
生き延びるだけでなく、
勝利するだけでなく、
成功するだけでなく、
それ以上のことができる。
そのとき、自分はほんとうは何者か、
そして何者になりえるのかという、
栄光に包まれた経験ができるだろう。」
(p.35)

前々回に、すべての思考、言葉、行動は、
愛か不安のどちらかが動機だと言いました。

そして、愛は条件つきだと教えたのは、
自分が最も信頼する親だということも。

つまり、不安になる生き方を、
親が教えてくれたのです。

もちろん、
教えたのは親だけではありません。

学校の先生もそうだし、
近所の大人や親戚たちもそうです。

本人は善意からそうしたと思いますが、
結果としては不安を動機とした生き方を
子どもに教えているのです。

しかし、不安に怯えながら、
劣った者が負けると思いながら行動しても、
生き延びることも、勝利することも、
成功することもままなりません。

神は、愛に支えられた行動によって、
ただ生き延びるだけでなく、
それ以上の栄光を経験できると言うのです。

では、「愛」を選択するためには、
どうすれば良いのでしょう?

「そのためには、善意ではあるが
間違った教師たちの教えを退け、
べつの種類の智恵をもったひとたちの教えに
耳を傾けなければいけない。
そういうすぐれた教師は、
昔もいまもたくさんいる。
わたしは、真実を教え、導き、
思い出させるひとたちなしに、
あなたがたを放っておきはしない。」
(p.35)

これまで「常識」とされた教えではなく、
別の教えに耳を傾けることです。

今までが上手く行っていないのなら、
違うことをやらなければなりません。

でも、それが正しい教えだと、
どうしてわかるでしょうか?

そこで神はこう言います。

「しかし、
いちばん偉大な教師は外にいる者ではなく、
あなたがたの心の声である。
それが、わたしが使う第一の道具だ。」
(p.35)

一番確かな教師は、
自分の心の声だと言うのですね。

「あなたがたの心の声は、
わたしのいちばん大きな声だ。
なぜなら、
あなたがたにいちばん身近な声だから。
心の声は、すべてについて、
あなたがたの言葉で言えば、真実か偽りか、
正しいか間違っているか、
良いか悪いかを教えてくれる。
それに従う気になりさえすれば、
進路を決めるレーダー、船の舵、
旅の道案内となる。
その声はたったいまも、
あなたが読んでいるこの言葉が、
愛の言葉か不安の言葉かを
教えてくれるはずだ。
この物差しを使えば、従うべき言葉か
無視すべき言葉かわかるだろう。」
(p.36)

たしかに、自分の心の声が指針なら、
間違えようありませんよね。

誰か他の人に騙されるという心配も
ありませんから。

でも、これまでも自分の心の声に、
従ってきたように思いませんか?

私はここを読んだ時、
文は理解できるけれども、
言わんとしていることが
イマイチよくわかりませんでした。

これもまた、
実際に適用してみないとわからないのです。

たとえば、道を歩いていて
物乞いと出会ったとしましょう。

最初は「かわいそうになあ」と思い、
いくらかお金をあげようと思います。

けれどもすぐに、
「いやいや、そんな余裕はないよ。」
などとためらう気持ちが出てきます。

そこで考えてみて欲しいのです。

その「思考」の動機は「愛」ですか?
それとも「不安」ですか?

最初に「かわいそうに」と感じ、
「お金をあげよう」と思った時、
その動機は「愛」ですよね?

その次に、
「そんな余裕はない」と感じたのは、
動機が「不安」だからではありませんか?

ここでお金をあげたら、
自分が使えるお金が減ってしまう。

その不安があったから、
最初の考えを否定したのでしょう。

このように考えてみれば、
自分の思考が愛から出ているのか、
それとも不安からなのか、
よくわかると思います。

そして、私たちの本質が愛であるなら、
愛から出てくる思考こそが、
私たちの本当の思考なのです。

「不安はちぢこまり、閉ざし、
引きこもり、走り、隠れ、蓄え、
傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、解放し、送り出し、
とどまり、明るみに出し、分けあい、
癒すエネルギーである。
不安だから身体を衣服で包むのであって、
愛があれば裸で立つことができる。
不安があるから、もっているものの
すべてにしがみつき、かじりつくが、
愛があれば、もっているすべてを
与えることができる。
不安はしっかりと抱えこみ、
愛は優しく抱きとる。
不安はつかみ、愛は解放する。
不安はいらだたせ、愛はなだめる。
不安は攻撃し、愛は育む。」
(p.34)

前にも紹介しましたが、
「愛」と「不安」の違いを、
上記のように述べています。

これを読んだ時、映画の
「ブラザー・サン・シスター・ムーン」
を思い出しました。

聖フランチェスコの物語です。

十字軍で略奪してきた物を家から放り出し、
ついには着ているものをすべて脱ぎ捨て、
裸ひとつで大地に立ちます。

神の愛に触れた時、
「すべてのものは必要ない」
と感じるのだと思います。

イライラするとき、頭に来る時、
守ろうとして体が硬くなる時、
動機は「不安」なのです。

落ち着いて、安心して、緩んで、
ゆったりとした気分でいるとき、
動機は「愛」なのです。

では、「愛」を選択せよと言うのは、
どうしてなのでしょう?

「あらゆる生命の目的はひとつしかない。
あなたがた、
そして生きとし生けるものすべての目的は、
できるかぎりの栄光を体験する、
ということだ。
話したり、考えたり、
行動したりするのもみな、
この目的のためだ。
魂がすることはほかになく、
魂が望むこともほかにはない。」
(p.36)

つまり「愛」を選択することによって、
より栄光を体験することができるから、
ということなのですね。

「不安」を選択している限り、
ちっぽけな自分を体験することになります。

物乞いに1円もあげなかった自分を、
どう感じるでしょうか?

そんな自分を守ろうとして、
行為を正当化するかもしれません。

「しょうがないよ、
今はそんなに儲けていないんだから。
だいたいこんな不景気じゃあ、
他の人にお金をやる余裕なんてないさ。
そんな余裕がある人は、
何か悪どいことをして儲けたんだよ。」

もうあることないこと、
様々な理由を探してきます。(笑)

しかし、そのときの気分はどうですか?

自分の心(魂)の声を聞いてください。

気持ちいいですか? 晴々していますか?

そこに答えがあります。

「人間の行動のすべては、
愛か不安に根ざしている。
人間関係だけではない。
ビジネスや産業、政治、宗教、
子供たちの教育、国家の社会問題、
社会の経済的目標、戦争や平和、
襲撃、防衛、攻撃、降伏に影響を及ぼす決断、
欲しがったり与えたり、
ためこんだり分けあったり、
団結したり分裂したりという意思決定、
自由な選択のすべてが、
存在しうるただ二つの考えから発している。
愛という考えか、不安という考えから。」
(p.34)

日々、瞬間瞬間、
私たちの意思決定において、
「愛」か「不安」かが問われます。

より栄光を体験するために、
私たちはどちらを選択するのでしょう?

それが、
「生きる」ということなのだと思います。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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~「幸せの公式」メソッドで幸せ体質に変革する方法」
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