不安は走る
- 2017.07.12
- 神との対話
こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。
今回は第1章の12回目になります。
前回は、この世で生きるということ
という話でした。
今回は、これまで紹介した部分を補足して、
理解を深めたいと思います。
これまで紹介したことから言えることは、
この世は修行する場などではない、
ということです。
これはどういうことかと言うと、
何かを達成しなくてもかまわない、
ということになります。
これは非常に重要なことです。
なぜなら、
何かを達成しなくても良いなら、
失敗するということはないからです。
失敗する可能性がないとすれば、
何も不安に感じなくても良いのです。
安心していればいいのです、
たとえどうなったとしても。
ですから多くの人が、
「安心していなさい」と言うのです。
「神との対話」では、
より大きな自分を体験するためには、
不安ではなく愛を動機とするようにと
言っています。
「不安」の反対は「安心」であり、
「安心」とは「愛」から生じるのです。
そして、「愛」を動機とするなら、
ただ生き延びるだけでなく、
もっと良くなると言っていましたよね。
「あなたがたはもちろん、
不安に支えられた行動を選択する。
そう教えられてきたからだ。
だが、教えてあげよう。
愛に支えられた行動をとれば、
生き延びるだけでなく、
勝利するだけでなく、
成功するだけでなく、
それ以上のことができる。
そのとき、自分はほんとうは何者か、
そして何者になりえるのかという、
栄光に包まれた経験ができるだろう。」
(p.35)
では、「愛」と「不安」について、
よく理解しているでしょうか?
おそらく感覚的にはわかると思いますが、
迷ってしまうこともあると思います。
よく言われるのが子育てです。
過保護はいけないと言うけれど、
逆に放任も良くないと。
「じゃあいったい、どうすればいいの?」
そこで迷ってしまう人は、
まだ「愛」がよく理解できていないのです。
また、私がよく言うことですが、
「I love you. I need you.」
は、おかしいのです。
相手を必要としていたら、
愛ではありません。
愛は相手を自由にさせ、解放するものです。
「不安はちぢこまり、閉ざし、
引きこもり、走り、隠れ、蓄え、
傷つけるエネルギーである。
愛は広がり、解放し、送り出し、
とどまり、明るみに出し、分けあい、
癒すエネルギーである。
不安だから身体を衣服で包むのであって、
愛があれば裸で立つことができる。
不安があるから、もっているものの
すべてにしがみつき、かじりつくが、
愛があれば、もっているすべてを
与えることができる。
不安はしっかりと抱えこみ、
愛は優しく抱きとる。
不安はつかみ、愛は解放する。
不安はいらだたせ、愛はなだめる。
不安は攻撃し、愛は育む。」
(p.34)
これを読まれて、
すぐに理解できるでしょうか?
すぐに理解できる方は、
愛と不安が明確になっていると思います。
縮こまり、閉ざし、引きこもり、
隠れるのは、自分を守るためですよね。
自分を守る必要性があると感じ、
守るべき自分に執着しているからです。
その動機は「不安」です。
不安だから、守ろうとするのです。
怒るのも、イラ立つのも、
自分を守ろうとしています。
「あなたのためを思ってやっているのに、
それがわからないの!?」
そう言って怒る人の動機は「不安」です。
決して「愛」ではありません。
一方の「愛」は、広がり、解放し、
送り出し、明るみに出します。
「不安」の逆ですよね。
自分を守る必要性を感じないから、
もう充分だと感じているから、
分けあい、癒すことができます。
ここで、次の言葉は、
よくわかったでしょうか?
不安は「走り」、愛は「とどまる」
という表現です。
このことについて、
少し解説してみたいと思います。
タイでは、信号のない交差点が、
けっこうあります。
片側2車線の大きな通りですら、
信号があまりありません。
そこを渡るのは、
慣れていない日本人にとっては、
ある意味で命がけですよね。
私がタイに来た当初、
タイ人の動きに感心しました。
大きな通りを、
1車線ごとにゆっくりと渡るのです。
車が来ないか、譲ってくれるのを確認して、
車線と車線の間まで進みます。
そして、
次の車線の車が来ないのを確認して、
またその車線を渡ります。
決して走ることなく、
悠々と渡っていくのです。
こういう渡り方だと、
何車線あっても大丈夫です。
下手くそな渡り方は、
行ける時を見計らって、
一気に渡ろうとして走り出します。
もちろん、
その判断が正しければ良いのですが、
想定外のところから車やバイクが来ると、
とたんにパニックになります。
車道上にいる危険な時間を、
なるべく短くする点では正しいです。
しかし、より安全に渡るという意味では、
ゆっくり歩く方が正しいと思います。
車を運転される方ならわかると思います。
怖いのは、
子どもなどが急に飛び出すことです。
歩いている人がそのままはみ出してきても、
予想もできるし、対応もできます。
しかし、
飛び出すと思ってもいなかったのに、
急に飛び出されると対処できません。
どうして走りだしてしまうのでしょう?
怖いからですよね? 不安だからですよね?
このチャンスを逃すと、
しばらく待たなければいけないかも、
という不安があるからです。
車が来るのが怖いから、
早くそこから逃げ出そうとして走るのです。
つまり、走るというのは、
動機が「不安」なのです。
もし安心していたらどうでしょう?
「大丈夫、少々時間がかかっても
まったく問題ないから。」
「大丈夫、車が気づいて避けてくれる。」
そう思っていたら、
走る必要性があるでしょうか?
だから「愛」は「とどまる」のです。
車線と車線の間にとどまって、
じっくりと渡る時を待つのです。
愛は、常に安心しています。
「子どもが間違ったことをするのでは?」
とか、「パートナーが浮気してるかも?」
などと不安に思ったりはしません。
なぜなら、どうなったとしても
大丈夫だとわかっているからです。
すべての出来事は必然であり、
無駄がないと知っているからです。
ものごとが偶然に起こり、
神も時には失敗することがあると疑うから、
不安になるのです。
つまり、
信頼できるかどうかがポイントです。
宗教的に言えば、
信仰を持てるかどうかです。
そして、信じるかどうかを決めるのは、
自分の意思でしかないのです。
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赤木篤 (あかき・あつし)
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