神が願うこと

神が願うこと

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第2章の2回目になります。

「神が何かを必要とする--
それが手に入らなければ、
怒って相手を罰すると考えるなら、
あなたがたはわたしよりもずっと小さな
神を信じることになる。あなたがたは
劣った神の子だということになる。
わが子たちよ、もう一度、はっきりと言う。
わたしには必要なものはない。
わたしは何も求めない。」
(p.91)

考えてみれば当然ですよね。

「存在のすべて」である神が
何かを必要とするというのは論理矛盾です。

必要なものが神以外のところにあるなら、
神が「存在のすべて」であるという定義に
反することになります。

それなのに私たちは、
神を怒らせないように考えて、
神の意向を知り、それにしたがおうと
あくせくしてきたというわけです。

神が、私たちの従順さを「必要としている」
と考えたからです。

こんな笑い話はありません。

そして敬虔な宗教家ほど、
その「ねばならない」を厳格に守ろうとし、
それを他者に押し付けているのです。

「だからといって、
わたしに欲求がないわけではない。
欲求と必要性は同じではないからだ
(同じだと思っている者が多いが)。
欲求とは、すべての創造のはじまりである。
最初の考えである。
魂のなかの偉大な感覚である。
それは神であり、
つぎに何を創造するかの選択である。」
(p.91)

必要性と欲求は違うと言います。

ここも重要なところですね。

別のところでは、必要性を好みに変えよ、
と言っています。

たとえば私はカレーが大好きですが、
別にカレーを必要としてはいません。

カレーが食べられなくても、
苦しくなるわけではないのです。

でも、できるならカレーが食べたい。

これが欲求であり、好みなのです。

必要性は執着であり、依存です。

電車から降りた時、
ダッシュして喫煙所に駆け込む人がいます。

これはタバコに依存しているのであり、
タバコを必要としています。

別に吸わなくてもかまわないと思って、
吸う機会がなければ2~3日吸わなくても
平気でいられるのが「好み」です。

「では、神の欲求とは何か。
第一に、栄光のなかでわたし自身を
体験することを願った。
わたしが何者であるかを知ることを願った。
あなたがたを、そして宇宙の世界すべてを
作り出す前には--それは不可能だった。
第二に、あなたがたに
「自分で選んで創造し、体験する」
という力を与えて、
真の自分を知って体験させようと願った。
第三に、生命のプロセスのすべてが
たえまない喜びと創造の体験であり、
終わることのない拡大で、
一瞬一瞬が充分に満たされることを願った。」
(p.91 – 92)

このように神の願いは、
これまでに説明してきたように、
自分自身を体験的に知ることである
と言っています。

そのために私たちが存在するのであり、
その私たちが目的に沿って、
成果をあげることを望んでいるのだと。

「欲求を実現させるために、
わたしは完璧なシステムをつくりあげた。
そのシステムはいまも働きつづけている。
いま、この瞬間にも。」
(p.92)

神が全知全能なら、
その完璧なシステムを創ることは
可能だと思います。

そして神は、その願いを成就するシステムを
創ったと言っています。

つまりこれは、私たちが成果を
あげられるかどうかにかかっている、
というものではないということです。

私たちがどうしようと関係なく、
必ず成果があがる仕組なのです。

「あなたがたとわたしとの
たったひとつの違いは、
それを知っているかどうかだ。
あなたがたがすべてを知った時には
(その時はいつきてもおかしくない)、
あなたがたも、
わたしと同じように感じるだろう。
大きな大きな喜びと愛と受容と祝福と感謝を
感じるだろう。
この五つは神の姿勢である。
あなたがたもこの五つを実践すれば
神性が得られることを、
この対話のなかで教えてあげよう。」
(p.92)

神は5つの姿勢を実践せよ、
と言っています。

そうすれば神性を得られると。

その5つとは、
喜び、愛、受容、祝福、感謝です。

実はこれ、レイキで教えている
五戒と対応しているように思います。

レイキの五戒は次のものです。

「今日だけは、怒るな、心配すな、
感謝して、業を励め、人に親切に」

「怒るな」とは、「喜び」を持て、
ということになります。

「心配するな」とは、
不安になるなということですから、
「不安」の反対の「愛」になります。

「感謝して」は、そのまま「感謝」ですね。

「業を励め」とは、積極的な行動で、
周りを癒すということですから、
「祝福」になると思います。

「人に親切に」とは、他人を責めず、
受け入れる気持ちが必要ですから、
「受容」になると思います。

私は常々「レイキは愛だ」と言っています。

レイキは、ただ心身を癒すだけでなく、
悟りへの道であり、自己の進化成長であり、
愛の実践だと思うのです。

ただし、ただレイキをするだけではなく、
創始者の臼井甕男(うすい・みかお)氏
が示された、この五戒の実践が不可欠です。

奇しくも「神との対話」とレイキとは、
こういう共通点があったのですね。

この5つの姿勢をもって生きることが、
私たちの進化成長を
早めてくれることになると思います。

「あなたが人生でぶつかるすべての問題の
根はそこにある。
あなたは、自分が神に話しかけられるほどの
価値があるとは思っていない。
だが、神が話しかけてくるほどの
価値はないと信じていたら、
神の声を聞こうとか、聞きたいとかも
考えられないではないか。
よいか、わたしはいま奇跡を行っている。
あなたに話しているだけでなく、
この本を手にとり、これらの言葉を読む
ひとすべてに話しかけている。」
(p.96)

私たちは、自分が神であることを忘れて、
この世に生まれてきました。

ですから、
それが信じられなくても当然です。

しかし、神はそれを気づかせようとして、
たくさんの指導者をこの世に送っています。

ですから、これまでも多くの人が、
私たちは神であり、素晴らしい存在だと
言い続けているのです。

たとえば斎藤一人さんは、
「世界一ものスゴい成功法則」の中で
こう言っています。
http://4awasejsn.seesaa.net/article/427835659.html

「自分は元から”スゴい人”だった、と。

これが「悟り」です。
悟りとは、
ほんとうの自分に気づくことなんです。」
(p.51)

まず、自分がそういう素晴らしい存在だと、
信じるところから始めませんか?

「神との対話」で言っているのも、
そういうことです。

知らないことは体験できないからです。

まずそれを知る。

そのためには、そうだと信じることです。

何の根拠も要りません。

信じるとは、
そのままに受け入れることです。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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「傷ついた心を癒して幸せになる!
~「幸せの公式」メソッドで幸せ体質に変革する方法」
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