神聖なる二分法とは

神聖なる二分法とは

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話3」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第1章の4回目になります。

前回は、「神聖なる二分法」を説明し、
それによって矛盾するように見えることが
実は調和しているという話をしました。

この会話はまだ続きます。

それだけ、理解しづらいことだからです。

「わたしにとっての最善とは、
あなたが自分にとって最善だと決めたものを
与えることだ。
なぜなら、わたしは
自分自身を表現しようとしている。
それを、あなたを通して実行しているから。」
(p.26)

神にとっての最善は、
私たちを自由にさせることです。

私たちが自由に選択したことが実現すれば、
それによって様々な体験ができます。

神の目的は、
あらゆることを体験することです。

その一方で、こうも言います。

「わたしはつねに、
あなたにとって最善のものを与えている--
ただし、
あなたは必ずしもそれに気づいていない。
わたしが何者であるかを理解すれば、
少しは謎が解けるだろう。」
(p.26 – 27)

神にとって最善を選ぶだけでなく、
私たちにとって最善なものを
つねに与えていると言います。

これはすぐには理解しがたいでしょうね。

それで、神とは何かを語ります。

「あなたは、わたしをひとつに決めたがり、
べつのものではないと思う。
高いのであって、低くはない。
善であって、悪ではない、と。
しかし、わたしの半分を否定すれば、
自分の半分を否定することになる。
それでは決して、
ほんとうの自分にはなれない。」
(p.27)

「わたしは荘厳なる「すべて」であり、
自分を経験的に知りたい。
あなたを通し、存在するすべてを通して、
わたしは自分を経験する。」
(p.27)

これは先ほど、
神についての最善を語った理由と
同じことを言っています。

「選択はすべて自己の創造だ。
どの選択も自己規定だ。」
(p.27)

「だが、選択肢がなければ、
荘厳であるという選択もできない。」
(p.27)

先ほど「自由」という言葉で説明しましたが、
自由とは選択肢があるということです。

「善」と「悪」の両方の選択肢があって、
初めて選択することができます。

そして、自由に選択することによって、
自分自身を規定するのです。

そしてそれは、自己創造なのです。

「わたしは自分自身を創造している神だ。
あなたも、同じだ。
あなたの魂がそれを求めている。
あなたの霊(いのち)がそれを渇望している。」
(p.27)

「わたしがあなたの選択を止めたら、
自分の選択を止めることになる。
わたしの最大の望みは、
自分が何者であるかを体験することだ。」
(p.27 – 28)

つまり、神と私たちの魂は同じものだ
ということです。

したがって、
神が自己創造(体験)しているのと同様に、
私たちの魂も自由な体験を求めている。

選択肢の中から自由に選ぶことで、
自己創造しようとしているのです。

このことから、
私たちの最善と神の最善が
一致することがわかります。

神と魂は同じものであり、
自己創造を望んでいるのですから。

ただ、私たちの精神は
そのことに気づいていません。

ですから、最善でないことが起こっている
と感じることがあるのです。

「しかも、それは、
私ではない場を通してしか経験できない。
しかし、
わたしは創造するもののすべてである。
したがって、
わたしではないものもわたしだ。」
(p.28)

反対の選択肢がなければ、
選択というものはできません。

ですから、「私らしい」を選択するには、
「私らしくない」という選択肢が必要です。

そして、
そのどちらもが自分自身だと言います。

神は「すべて」ですから。

「わたしでないものは何もない。
したがって、わたしはわたしであり、
わたしでないものだ。
これが神聖なる二分法である。」
(p.28)

私たちは、なかなか認めづらいのですが、
「善」の心もあれば「悪」の心もあります。

「善」を望みながらも
「悪」を心に抱いてしまう。

そういうものではないでしょうか?

親鸞聖人は、
そういう自分の中にある「悪」に気づき、
救われ難い存在だと思われたのです。

自力ではどうにも救われない。

その時、阿弥陀仏の本願による救い、
つまり他力の救いに気づかれました。

救われ難いものが救われることに喜び、
その教えを説かれたのです。

詳しくブログ記事に紹介しましたので、
そちらをご覧ください。

「親鸞聖人を学ぶ」

しかし、「神との対話」では、
そもそも救われているのだ
という話をしています。

私たちは「善」であると同時に
「悪」でもある存在なのです。

それでいいのです。

その中から、
「私らしい」ものを選択し自己規定する。

そうやって、すべてを体験するのです。

未熟な時は、
なかなか「私らしい」を選択できず、
苦しむこともあるでしょう。

でも、
それもまた神が求める体験なのです。

その体験があるからこそ、
「私らしい」選択をする喜びも生まれます。

そういう様々な体験こそが、
神がこの世を創造した目的であり、
そうすることが望みなのです。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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