7.罪の宣告という幻想

7.罪の宣告という幻想

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神とひとつになること」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第7章の1回目です。

第7の幻想は、第6の幻想から生まれました。

「そもそも、わたしが決めた課題を
あなたがたが果たせなかったとき、
わたしはあなたがたから離れたのだ、
と思った。」
(p.78)

つまり、裁きの結果、私たちは
神の言いつけを守らなかったのだから
罰を受けるべきなのです。

その罰が、分離ということです。

神が離れたことにより、
私たちは豊かさも永遠の命も失った、
ということになりました。

しかし、課題を果たそうがどうしようが、
すべての人は死にます。

それでは課題を果たさないことの
罰にはならないのです。

「しかし、
死が不十分さの結果だとしたら、
課題を果たさなかった場合の結果とは
何なのか?」
(p.79)

死が存在する理由は、前に、
生命が充分ではないからということでした。

もしそうなら、
課題を果たさなかった時の結果は
また別に必要になります。

何か理屈に合わないと感じた私たちは、
また最初の神話に戻ったと神は言います。

そして理屈を展開するのですが、
ここの話はよくわかりません。

結局、死は、
課題を果たさなかった者を
罰するためにあるのだ
とするのです。

「永遠の生命、それが報酬だ。
ところが、あなたがたはまた謎にぶつかった。
死が存在するなら、生命は永遠ではない。」
(p.79)

そこで私たちは、物理的な身体の死は
終わりではないと考えました。

「だが、
肉体的な死のあとも生命が続くとしたら、
死にはどんな意味があるのか?」
(p.80)

そこで私たちは、
死後の体験を創り出したと言います。

それが罪の宣告です。

「死と永遠の生命が、
罰と報酬が存在することになった。
どちらも死後のことであれば、
死そのものは罰ではなく、
不十分さの究極的な現れになる。」
(p.80)

肉体の死は、生命の不足によるものです。

課題を果たさなければ、死後、
罪の宣告を受けることになるのです。

しかし、
これはもちろん偽りだと神は言います。

「死は存在しない。
死が存在するというのは、あなたがたは
存在しないというのと同じである。
あなたがたは生命そのものだから。」
(p.81)

「死が存在するなら、神は存在しない。
あるいは、神がすべてではなくなる。」
(p.81)

もちろん真実は、死は存在しません。

神とは「存在のすべて」ですから。

個々のように見えて、
本当はひとつのものなのです。

「わたしは生命エネルギーである。
わたしは生命エネルギーが
かたちをとったものである。
あなたがたはすべてのなかに、
異なるかたちの神を見るだろう。」
(p.82)

神はここで、
同じことを何度も繰り返しているようだが、
本当に理解することが重要だと言います。

この対話の意義を再確認するのです。

「わかっているかどうかの尺度は、
あなたがたが生きる人生だ。
あなたがたの生き方に、
理解の深さが反映される。
 あなたがたの人生が、
つねに喜びと祝福にあふれているなら、
ほんとうにわかっているのだ。」
(p.82)

私たちが理解しているかどうかは、
私たちの人生に表れると言います。

つまり、私たちが
本当に喜んで生きているかどうか。

喜びの中で生きているなら、
本当の意味で理解していると言えるのです。

しかし、そこには注意が必要です。

「だからといって苦痛や苦しみ、
失望をもたらす条件がなくなるのではない。
そうした条件にもかかわらず、
喜びに満ちて生きられるという意味だ。
あなたがたの体験は、
条件とは何のかかわりもない。」
(p.82)

何かがあるから喜ぶのではないのです。

たとえば、家族がみんな健康で、
何の心配も要らないからとか、
お金が十分にあって
生活に困ることがないとか、
そういう条件は関係ないのです。

つまり、逆に言えば、
そういう心配や困難があったとしても、
喜びの人生であるということが
本当に理解したことになるのです。

そして、そのことをこう説明します。

「それがこれまで何度も話してきた
無条件の愛だ。
それをほかのひととの関係で
経験することもあるだろうし、
人生そのものについて
体験することもあるだろう。」
(p.82)

愛は無条件です。

つまり、何の条件もつけずに、
人生を喜ぶことです。

相手がどうであろうと関係なく、
自分は喜び、相手を愛すること。

人生が上手くいっていようとどうしようと
関係なく、喜び、他を愛すること。

無条件の愛とは、そういうことです。

「人生に(life:生命に)
無条件の愛をいだいていれば、
いま、あるがままの人生を(life:生命を)
愛せるようになる。
それは、そこに「完璧さを見る」とき
はじめて可能になる。」
(p.83)

人間関係がどうであれ、
人生の状況がどうであれ、
そこに完璧さを見る。

それは、
完全に理解しているということなのです。

そして、そういう理解があって初めて、
私たちは本当に愛せるのです。

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