時というものはない

時というものはない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第3章の1回目になります。

最初に、ここまでのまとめをしてから、
「時」についての話に入ります。

「この時をおいて、ほかに時はない。
この瞬間をおいて、ほかに瞬間はない。
「いま」、それがすべてだ。」
(p.51)

昨日(過去)とか明日(未来)というのは、
私たちの想像の産物だと言います。

そんなことを言われても、
3次元空間に住む私たちには
よくわかりません。

だって昨日はたしかにあったし、
明日はまだないのですから。

神は、今はまだわからないだろうが、
理解し始めることはできると言います。

そして、
「時」についての説明を始めるのです。

「「時」は継続ではない。
垂直ではなく、水平な相対性の要素だ。
ただし、
「左から右へ」というふうに考えないこと。」
(p.52)

「「時」は
「上がったり、下がったり」するものだよ!
いまという永遠の瞬間を表す、
はかりのようなものと考えればいいかな。」
(p.52)

この後、
秤(はかり)に紙の束が乗っていて、
その1枚1枚が「時」の断片であるよう
考えてみるよう神は促します。

つまり、
真実の「時」である「この一瞬」に、
すべての「時」が存在しているのだと。

はっきり言って、
この説明はよく理解できませんでした。

ただ言えるのは、
過去も未来も「今」同時に存在している、
ということです。

そんなことが想像できないとしても、
本質的にはそうなのだろう
と思ってみるだけです。

今は、
それでいいのではないかと思うのです。

「あなたは意識のなかで、
この存在のなかのどんな「時」にも、
どんな「場所」にでも、
移動することができる。」
(p.53)

本質的に時空が存在しないのであれば、
この通りだと思います。

時空が想像の産物なら、
想像次第でどうにでもなるはずです。

実感はできませんが、
理屈からすればそうなります。

そして時間旅行のことをこう説明します。

「おおぜいが旅をしているよ。
それどころか、全員がしている。
ふつうは夢と呼ばれる状態のなかでね。」
(p.53)

夢というのも、ある意味で想像です。

そして想像とは思考であり、
思考が現実を創るのです。

あるいは、
脳は現実と想像を区別できない
と言われますよね。

夢を見ている時に、
「これは夢だ」とは思いません。

どんな突飛なことが起こっても、
現実と感じています。

そう考えれば、
現実は夢(想像)だとも言えます。

実際、「神との対話」では、
そのように言っているのです。

時間を旅することによって、
過去や未来を知ることができます。

「だが、そこにはエネルギーが
膠(にかわ)のように付着している。
十分に付着していると、
そういうエネルギーに敏感なひとには、
あなたの「過去」や「未来」がわかる。
彼らはエネルギーの残りを感じたり、
「読みとったり」できる。
そういうひとたちを、
予言者とか、超能力者と呼ぶ。」
(p.53)

過去や未来のエネルギーを感じ取ることで、
過去を言い当てたり、
予言をすることができるのですね。

「また、
エネルギーの残りがたくさんあると、
あなた自身の限られた意識のなかでも
「ここには来たことがある」
と感じることがある。
「これは前にもあった」
と気づくことがある!」
(p.53)

このように、
デジャブ(既視感)は事実である
と神は言います。

「あなたはときどき、
はかりの「紙の束」の上のほうをめくったり、
下のほうをめくったりして、
すべての紙を見る!
そこにあなた自身を見る。
なぜなら、どの紙にも
あなたの一部があるのだから。」
(p.54)

たしかに、時間を自由にめくれるなら、
過去や未来のエネルギーを
感じ取ることができるでしょう。

しかし、
「どの紙にもあなたの一部がある」
というのは、どういう意味でしょうか?

ニール氏も、そこを神に尋ねます。

「あなたはつねに存在している。
いまも、そしていつまでも。
あなたが存在していない時はこれまでも、
これからもないのだよ。」
(p.54)

神は、私たちが存在しない「時」は、
あり得ないのだと強調します。

しかしニール氏は、
「老いた賢い魂」という言葉をあげて、
他の魂より若いとか老いているとか
あるのではないかと神に尋ねます。

つまり、その魂が存在しない「時」が、
あるのではないかという疑問です。

「ほかよりも「老いた」魂はない。
わたしは、すべてを一度に創造した。
そのすべてが、
たったいま、同時に存在している。
あなたがたが言う
「老いた」とか「若い」というのは、
ある魂の認識がどんな水準にあるのか、
存在のどの面か、ということだろう?」
(p.54)

ここでおそらく気づくはずです。

私たちは、つい「あなた」とは違う「私」
という考え方をしてしまいます。

だから、「私」が存在しない「時」が、
どこかにあるはずだと思うのです。

「あなたは存在のすべての面であり、
存在するすべての部分だ。
どの部分も、
そこにはめこまれた全体意識をもっている。」
(p.54)

私たちは神の一部だと言います。

しかしそれだけだと、
私とあなたは別の存在ということになります。

そうではなく、
一部でありながら全体を有している
と説明しているのです。

強いて説明するなら、
手の指のようなものでしょうか。

親指と人差し指はそれぞれ手の一部です。

しかし、手の全体とつながっています。

どこからが親指で、どこからが人差し指か、
厳密には区別できません。

私たちは「ひとつのもの」です。

ですから、私の体験は、
あなたの体験にもなるのです。

なぜなら、根っこでつながっているから。

これを別の言い方で説明すると、
この世には「私」しか存在しません
ということになります。

生まれ変わりもそうですが、
「あなた」は「私」なのです。

だって本質的に
時空が存在しないのですから。

時空が存在しないから、
同時に複数の場所に存在できます。

これを遍在と言います。

「私」はこの世に
遍(あまね)く存在している。

だから、「他人」という存在は幻想で、
すべてが「私」なのです。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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