性に関するルール (18禁)

性に関するルール (18禁)

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第8章の5回目になります。

ニール氏は念を押すように、
たとえば「倒錯したセックス」でも
当人同士が同意していればOKなのか?
と尋ねます。

神もこれまでの答えを繰り返します。

「第一に、
神はなにものも否定しないということを、
もう一度はっきりさせておこう。」
(p.141)

「さて、あなたの成長の途上で、
何が自分に役立ち、何が役に立たないか、
決めるのはあなた自身だ。」
(p.141)

決めるのはわたしたち自身です。

そして、何を選んだからと言って、
神は裁いたりしません。

神が裁かないということは、
私たちも裁かない方が良いということです。

なぜなら私たちは、
神に近づいていく存在ですからね。

しかし、ガイドラインはあると言って、
神はそれを示します。

「他者を傷つけることになるなら、
どんな行動も成長を早めることにはならない。
第二のガイドラインは、
他者と関係するどんな行動も、
他者の合意と許可なしにはしないこと。」
(p.142)

したがって、
それが仮に「倒錯したセックス」であっても、
誰も傷つけずにみんなの許可があるなら、
「悪」と呼ぶ必要はないのです。

「愛のないセックス」も同じだと言います。

愛がなければセックスをすべきでないなら、
ほぼすべての人が
この戒めを破っていることになると
神は言うのです。

しかし、だからと言って、
「愛のないセックス」を
勧めるわけではありません。

「なにごとも愛がなければ、
神性への近道ではない。
愛のないセックスであろうと、愛のない
スパゲッティやミートボールであろうと、
愛なしに料理して食べるのであれば、
その体験のいちばんすばらしい部分を
手に入れそこねる。
手に入れそこねるのが悪いか?
「悪い」という言葉は
やっぱり適当ではないだろう。
できるだけ早く高い魂をもった存在に
成長したいというのであれば、
「もったいない」というほうが近い。」
(p.142)

私たちは、
どこかに崇高で絶対的な倫理観が存在する
という幻想を信じ込んでいます。

だから、セックスというものを特別視し、
「こうすべき」という規範を作り、
「こうすべきでない」というタブーを
こしらえてきたのです。

しかし神は、
セックスも料理も同じだと言います。

つまり、生きている間のすべてにおいて、
愛を動機としてそれを考えているか、
言葉にしているか、行動しているかが
問われるのです。

同性愛が良いのか悪いのか、
人種や身分が違う結婚はどうなのか、
そんなことに神は関与しません。

決めるのは常に私たちです。

その根拠は、
神がどう言ったかではなく、
「それは愛か?」
だけだと神は言うのです。

そこでニール氏は、
子どもにセクシュアリティを教えるのは
何歳くらいが良いのかと尋ねます。

特に日本では、
まともな性教育が行われません。

親としても悩ましいことだと思います。

これについて神は、こう答えます。

「子供は生まれてすぐ、
自分をセクシュアルな存在だと
気づいているよ--
つまり人間だということだが。
なのに親たちは、
できるだけ気づかせまいとする。
赤ん坊の手が「いけない場所」にふれると、
やめさせる。
幼い子供が自分の身体に
罪もない歓びを見つけると、
親はぎょっとして大騒ぎし、
子供に不安を植えつける。」
(p.143)

情景が目に浮かぶようです。(笑)

こうして親の不安が子どもに伝染します。

「子供たちに
いつセックスを教えるかではなく、
セクシュアルな存在であることを否定せよ
という要求をいつやめるかが問題だ。」
(p.143)

親がタブー視している限り、
子どもに不安を伝えることになります。

そして子どもは、
非常に魅力的なのに忌避すべきものとして
セックスを捉えるようになるのです。

私たちは子どもに、
性器の名前さえまともに教えません。

せいぜいスラングで表現するだけです。

そのことによって、
そのものの価値観を毀損しています。

「こうして身体のその部分は
口にしてはいけない、
否定すべきだという見方を
しっかりと植え付けられて育った子供は、
どうしていいかまるでわからず、
激動の思春期を迎える。」
(p.144)

正しい情報は伝えられず、
不安ばかりを植え付けられる。

そして、ネットや友だちなどからの、
不確かな情報を得ながら
なんとか適応していこうとしているのが
今の子どもたちなのです。

アダルトビデオ(AV)も、
セックスの教材の1つになっています。

というより、
その大きな部分を占めています。

だからAVのようになるのが普通と思い、
同じようにしようとするのです。

もし、痴漢をされた女性が
そのうち気持ちよくなって感じるなど、
あり得ないAVが氾濫していなかったら、
どうなったでしょう?

その代わりに、
嫌悪感、屈辱感を覚え、
一生残る心の傷になると教えられたら
どうなったでしょう?

では、セックスではどうすればいいのか?

どう考えればいいのか?

セックスそのものを教えない性教育は、
まったく意味がありません。

「そんなこと、
教えなくても自然とわかる。」

そう言う人がいますが、
本当でしょうか?

私は、そうは思えません。

「そんなことを学ばなくても、
自分はちゃんとした大人になっている。」

それも本当でしょうか?

自分は性犯罪者とは違う、
という思い込みこそが
社会を分断して、
問題の解決を遅らせていると思います。

私たち一人ひとりが責任を持たなければ、
社会の問題は解決しません。

そのことを「神との対話」では
示しているのです。

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赤木篤 (あかき・あつし)


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