課題という幻想を活用する

課題という幻想を活用する

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神とひとつになること」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第15章の7回目です。

今回は、課題という幻想を
活用する方法になります。

「課題という第五の幻想は、
真の自分を知って経験するために
しなければならないことは何もない、
という経験をするために利用できる。」
(p.162)

私たちは何かを恐れて、
規則に従って生きようとします。

しかし、
年老いた人に尋ねたならば、
恐れずに自分の思うがままに生きよ
とアドバイスしてくれるでしょう。

もっと自由に、規則などそっちのけで、
やりたいことをやるべきだった
と彼らは後悔しているからです。

「人生の終わりにあなたは、
自分がしたことには何の意味もなく、
ただ、
それをしたとき自分がどんな人間だったか、
それだけが大事だったと知るだろう。
 あなたは幸せだったか?
親切だったか?
ていねいだったか?
ひとを気づかい、やさしく、
思いやりがあったか?
寛大で気前がよかったか?
そして、何よりも--愛していたか?」
(p.162)

私たちは、
自分らしく生きることによって、
満足するのです。

それを邪魔するのは、
恐れであり不安です。

他人から押し付けられる規則を
しぶしぶ守ることによって
自分らしく生きることを断念すれば、
それが後悔となります。

「人生の終わりにあなたは、
魂にとって大切なのは何をしたかではなく、
どんな人間だったかだとわかるだろう。
そして、真の自分とは結局、
魂であることを知るだろう。」
(p.163)

魂にとって重要なのは、
何をするかではなく
どうあるかということです。

「在り方」が重要なのです。

そして私たちは、
自分が身体ではなく魂であると
「死」の瞬間に理解するのです。

課題という幻想は、
理性の方向付けに役立つ
と神は言います。

ただしそれは、
それを幻想だと知っている時だけです。

課題が幻想だということは、
私たちを解放すると同時に、
恐ろしいことでもあるのです。

「したいことだけをすればいいと言われたら、
ほんとうに必要なことが
何も実行されないのではないか、
と不安になるからだ。
 誰がゴミを運んでくれるんだろう?
 まじめな話だよ。
 誰もやりたがらないことを、誰がやるのか?
 これが疑問であり、不安だ。」
(p.163)

たしかにそうですね。

理想はわかったけど、
現実的にこのゴミは誰が片付けるの?
と不安になるでしょうね。

母親が遊び回っていたら、
この子の面倒は誰がみるの?

実際、
育児放棄をして子どもが死ぬケースが
ニュースであるじゃないの。

しかし、この不安には根拠がない
と神は言います。

「規則も規制も条件もないコミュニティでも、
必要なことをするひとたちはたくさんいる。」
(p.163)

ルールで縛らなくても、
人はしなければならないことをするものだ
と神は言うのです。

たとえ自分がやらなくても、
他の誰かがやってくれるのだと。

そして、ルールで縛らないことによって、
それを行う動機が変わると言います。

「変わるのは何が行われるかではなくて、
なぜ行われるかという理由だ。
 何かをする「理由」が変わる。
 しなければならないと言われたから
「する」のではなくて、自分が選んだから、
それが真の自分の表現だから「する」。」
(p.164)

強制されるのではなく、
自主的に行うようになるのですね。

「じつは、
何かをする真の理由はこれしかない。
だが、これによって
「行為と存在」のパラダイムが逆転する。
 人間がつくったパラダイムでは、
ひとは何かをすることで、何者かになる。
 だが、新しいパラダイムでは、
ひとは何者かであり、だから何かをする。
 幸せだから、幸せな人間がすることをする。
責任感があるから、
責任感がある人間がすることをする。
親切だから、親切な人間がすることをする。」
(p.164)

私たちが何かをする本当の理由は、
魂が選んだ「在り方」が理由となるのです。

それが本来の私たちなのですね。

幻想に溺れていると、
それができなくなってしまいます。

恐れや不安から、
強制される生き方を選ぶからです。

私たちは、
本来のパラダイムを逆転させることで、
見返りを求めるようになりました。

だから、
行為によってそれが得られない時、
私たちは相手を恨むのです。

私たちは、行為の見返りによって
天国が得られると考えました。

逆に「悪い」行為の結果が地獄です。

いずれも、行為によって得られるもの
と考えたのです。

しかし、神はそれは違うと言います。

「あなたがたが天国と呼ぶものも、
ある状態だ。
それはひとつであるという経験、
存在するすべてと
ふたたび一体になるという歓喜だ。
自己の真実を知ることだ。」
(p.165)

天国というのは、
一体性を経験することなのです。

ですから、何かの行為の見返りとして
与えられるものではありません。

私たちが本来の「在り方」を選択した時の、
体験こそが天国なのです。

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