倫理ではなく機能性で判断する

倫理ではなく機能性で判断する

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「新しき啓示」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第22章の2回目です。

前回の最後で、
「倫理」で判断するのではなく
「機能性」で判断すべきだ
という話がありました。

今回はその続きです。

神はまず、
目的地へ向かう例を取り上げます。

たとえば、
大阪から東京へ行こうとしている時、
下りの新幹線に乗ることは
方向が「間違っている」と言われます。

しかしそれは、
「非倫理的」という意味ではありません。

ただ目的を達成できないだけです。

機能性に欠けているだけで、
倫理が欠けているわけではないのです。

このたとえ話から神は、
以下のように説明します。

「思考や言葉、行動は、
自分が試みるあり方、行動、所有に照らして、
機能するかしないかのどちらかだ。
機能するなら
「正確」で「正しい」ことになる。
機能しないなら
「不正確」で「間違っている」。」
(p.300)

「ないがしろになったのは、
あなたの意志だ。
あなたの望むあり方、行動、所有が
実現しないのだからね。」
(p.300)

つまり、
私たちが目指すことが実現しないだけで、
神の意志がないがしろにされたわけでもなく、
倫理違反でもないのです。

このことを踏まえて神は、
倫理的に判断しない方が
私たちの社会が上手くいくのではないか
と言います。

「高度に進化した社会では、
ある選択肢や行動が、
集団的に望む結果や帰結を生むために、
「機能するか」「機能しないか」
だけに着目する。
あなたがた自身の人生でも、
選択にあたっての「倫理的価値観」を
取り除けば、
「倫理的権威」を取り除くことができる--
もともと倫理的権威なんてありはしなかった。
あなたがたがでっちあげたのだから。」
(p.300)

進化した存在は、
無意味な倫理的権威を崇拝したりはしない
ということですね。

崇拝することでみんなが幸せになれるなら
意味があるでしょうけど、そうはなりません。

そのことは、
私たちが長い歴史で証明しています。

神は、
もうそんな役立たない考えは捨てて、
役立つ考えを採用するようにと言うのです。

それが「機能性」という基準です。

しかし、私たちは個々において、
それぞれの欲望を満たそうとするものです。

まだ発達段階の人類が倫理を捨てたら、
無政府状態になるのではないか?

そうニール氏は心配するのですが、
それに対して神はこう答えます。

「それは、
社会として、あなたがたみんなが一致して、
どのようなあり方、行動、所有を
試みようとするかによるね。」
(p.301)

「あなたがたが
平和で仲よく協力する世界を体験したいなら、
「何が役に立って」
「何が役に立たないか」は、
その世界に照らしてはかられるだろう。」
(p.301)

私たちはまだ、
こういう尺度を使っていません。

まだ取り組んだことがないのです。

そこで重要になるのは、
私たちが全体でどこを目指しているかです。

東京なのか? 博多なのか?

平和なのか? 自分の得なのか?

もし、他人を出し抜いて得をしたいとか、
他人を虐げても自分がおいしい思いをしたい
と考える人が多いのなら、
私たちはまだ平和を選択していないのです。

「それは、あなたがたが
平和と調和と協力を体験したがっていない、
ということだよ。
あなたがたは
権力とわがままを体験したがっている。
口で言うことと行動が、違っている。」
(p.301 – 302)

口でいくら平和を唱えても、
行動がともなっていないなら
本当の意味では選択していないのです。

しかし私たちには、
漠然とした不安があります。

自分は正しい行いをするだろうけど、
他の人はどうかわからない。

その間違ったことをしたがる他人によって、
自分の何かが侵害されてはたまらない
と思っています。

ですから、
規則を定め、規則違反に罰を与えることで、
規則違反を抑止しようとします。

また、
規則違反を行った人に報復することで、
不自由さの溜飲を下げようとします。

今、私たちが行っているのは、
そういうことです。

それに対して神は、次のように尋ねます。

「そこでもう一度たずねるが、
誰かを罰して、どんな結果を得たいのだね?
「おとしまえ」をつけたいのか? 復讐か?
それとも
脅威を取り除いて安全にしたいのか?」
(p.303)

ニール氏は、
私たちは「正義」を実現したいのだ
と答えます。

たしかに、
そう言われると何となくしっくりきますね。

ニール氏は、正義の意味を
辞書から次のように説明します。

「辞書には、
正義とは「対立する主張や利益分配、
懲罰などについて偏りのない調整を行うこと」
とありますね。」
(p.303)

つまり、両者の言い分が
ほどほどに認められる中間点を定めることが
正義だというわけです。

ここで神は、「調整」という言葉を捉えて、
生命/人生の基本原理によく似ている
と言います。

「そう、
適応するとは、調整することだからね。
生命はつねに、
適応性の原理を表現している。」
(p.304)

生命/人生の基本原理の2番目は、
「適応性」でしたね。

「生命は機能する。
機能しつづけることが可能になるやり方で、
機能する。
その機能が何らかの意味でおびやかされたら、
生命は機能しつづけるために、適応する。
言い換えれば、調整する。
この適応性の原理は、
進化論では選択と呼ばれる。」
(p.304)

つまり、
生命は生き続けるために
進化(変化)するのです。

新たな様相や機能を選択し、
生き続けるのが生命です。

「それによって、種は進化する。
そのとき、
第三の生命/人生の基本原理が表現される。
持続性だ。
生命は機能性を適応させることによって、
持続する。
どこの、どの生命も、
この三つの原理を表現しており、
この三原理が循環することで、
生命は永遠に続いていく。」
(p.304)

このように「生命/人生の基本原理」の
「機能性」「適応性」「持続性」
を説明します。

これらは互いに関連し合っており、
この3つの原理によって
永遠の生命が実現されているのです。

そして、私たちは知らず知らずに、
この原理を表現しようとしていました。

それが「正義」であり、
「適応性」の原理だったと言うのです。

「あなたがたの社会は
「正義のシステム」と呼ぶものを利用して、
対立する主張や利益分配、懲罰などについて
偏りのない調整をすることで、
適応性の原理を表現しようとしている。」
(p.305)

複雑ですが、
なかなか面白い話になってきました。

この話題は、次回に続きます。

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