神と一緒に経験を作る

神と一緒に経験を作る

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話2」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第19章の1回目になります。

前回神は、この社会がいかにひどいかを、
まるで糾弾するかのように述べました。

「こうした
恥ずべきシステムが存在しうるのは、
貪欲に動機づけられ、
人間の尊厳ではなく
利潤率が最優先される社会だけだよ。」
(p.282)

「そして、
ソフトドリンクの売り上げを伸ばした
企業のエグゼクティヴに
七千ドルのボーナスが支払われ、
いっぽうでは七千万人のひとが
その商品を飲むこともできないほど、
まして健康に暮らすための
食事などできないほど貧乏なのに放っておく。
恥ずべき社会経済システムについては、
黙っているがいい。
このシステムを
恥ずべきだと思わなくていい。
それが自由市場経済の世界だと、
誰にでも胸を張って自慢すればいい。」
(p.283)

こう皮肉っぽく、
資本主義経済を批判しています。

それに対してニール氏は、
神が怒りを露わにすることが珍しいとして、
神さまらしくないと指摘します。

それについて神は、次のように言います。

「神はすべてだし、すべてになれる。
神にありえないことはないし、
神が自らを経験するとき、
神はあなたにおいて、あなたとして、
あなたを通して経験している。
あなたが感じているのは、
あなた自身の怒りだよ。」
(p.284)

「わたしが送っている考えを、
あなたはあなた自身の経験、
あなた自身の真実、あなた自身の理解、
あなた自身の決断と選択、
ほんとうの自分とは何者か、
何者であろうと選択するかという
フィルターを通じて受けとっているのだよ。
ほかの受けとり方はありえないし、
また、あるべきでもない。」
(p.284)

この部分を素直に読めば、
この本に書かれていることは
ニール氏の考えに基づくものだ
ということになります。

インスピレーションは与えても、
それをどう受け取るかはその人次第。

その人の経験や理解、選択などによって、
どう感じるのか、どう表現するのかは
違ってくるのだと。

もしそうであれば、
前の章で神が糾弾した怒りは、
神の怒りではなくニール氏の怒りだ
ということになります。

そしてここで神自身も、
そのように言っています。

そうすると、
そのように説明している神の言葉は、
神の言葉なのでしょうか?

それとも、
ニール氏の言葉なのでしょうか?

だんだんわからなくなってきました。

私も、最初はそのように感じました。

そこで神は、
次のように言うのです。

「わたしがあなたの考えや感情を与えている
という可能性を考えてごらん
(そうでなければ、
考えや感情はどこから来ると思う?)。
わたしが一緒に、あなたの経験を
創り出していると考えてごらん。
わたしがあなたの決断や選択や宣言の一部だ
と考えてごらん。
この本ができるずっと前から、
他の多くのひとたちと並んで、
あなたがメッセンジャーに選ばれていた
という可能性を考えてごらん。」
(p.285)

つまり、私が今、何かを考えたり、
何かを感じたりする思考や感情は、
神から与えられているということです。

すでに
メッセンジャーになると決まっていたから、
そのような怒りを感じるようになっていた
ということも言えるのです。

そんなことがあるでしょうか?

このことを考える上で、
私の不思議な体験を再びお話しましょう。

すでに、
昨年(2017年)12月28日のメルマガで、
お話した内容です。

その部分をもう一度書きましょう。

◇—–(メルマガから引用・開始)—–◇

私が子どものころ、
ふとこんなことを考えたことがありました。

「ぼくが考えていることは、
ひょっとしたら神さまが
考えさせているのかもしれない。」

「でもそうすると、
「神さまが考えさせてる」
と考えていることも、
神さまが考えさせているのかなぁ?」

「すると、「神さまが考えさせてる」
と考えていることを、
神さまが考えさせていると考えることも、
神さまが考えさせているのかも…。」

こんな堂々巡りのようなことを
考えたことがあったのです。

ブログにそのことを書いていますので、
そちらもご覧ください。

「これは神様が私に
言わせているのだと思いました」
http://4awasejsn.seesaa.net/article/307508848.html

運命は決まっているという考え方に従えば、
そういうことになります。

この世は神の自作自演とも言えるわけで、
私たちが何を考え、何を言い、
どう行動するかということは、
すべて神の掌の上のことなのです。

◇—–(メルマガから引用・終了)—–◇

私の考えは、私が考えたことですから、
私のものだと言うことができます。

しかし、その私という存在は、
神でもあります。

この世に存在するのは神だけです。

「存在のすべて」が神ですから。

そしてそれを「ひとつのもの」と呼びます。

「ひとつのもの」ですから、
私の考えは神の考えであり、
神の考えが私の考えだと言っても
間違いではありません。

もちろん、
私という個性を通じた神の考えです。

でも、だから何なのでしょう?

そもそも神は、
絶対的な価値観は存在しないし、
絶対的に「正しい」も「間違い」もない
と言っています。

そうであるなら、私の考えが
「正しい」も「間違い」もありません。

どうでも良いことなのです。

重要なのは、それを通じて、
何かを感じ、何かに気づくことです。

誰かの怒りの姿は、
「悪い」ことではありません。

私に何かを気づかせてくれる機会です。

1冊目の本にもあるように、
ここに書かれたことを真実だとして
受け取る必要はありません。

むしろ、
そう受け取るなと神は言っています。

それよりも、自分で考えることです。

自分で応用してみることです。

そのための機会(チャンス)を、
与えてくれているのです。

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幸せ実践塾・塾長

赤木篤 (あかき・あつし)


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