他者よりもまず自分に与える

他者よりもまず自分に与える

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神との対話3」の一部を引用しながら
内容を解説するシリーズ。

今回は第13章の10回目になります。

前回は、
何かを要求する愛ではなく、
愛が宣言することだけを宣言するよう
愛の誓いの期待を変える方法について
話をしていました。

そのためには文化的神話の1つである
「愛とは受けるよりも与えるものだ」
ということを変える必要があるとのこと。

そこで神は、
本質的には「ひとつ」であり、
他人というのは存在しないことを
理解する必要があると言いました。

そして、私たちの人生の目的は、
なりたい自分として体験することであると。

今回は、その続きになります。

「ところで、ほんとうのあなたが
自己を愛さない存在だとしたら、
そして虐待され、傷つけられ、
破壊されるままになる存在だとしたら、
そういう経験につながるふるまいを
しつづけるだろう。
だが、ほんとうは親切で思いやりがあり、
心つかいをし、分かち合い、
共感と愛にあふれる人間なら、
その相手に自分自身をもふくめるはずだ。
それどころか、まず自分から始めるだろう。
自分を第一にするだろう。」
(p.287)

自分と他者と区別がないのであれば、
あとは、
愛するか愛さないかの違いがあるだけです。

そして愛するのであれば、
その対象は他者だけでなく、
自分も含まれるということになります。

しかもそこで神は、
まず自分を優先すると言うのです。

なぜ自分を優先するのか?

それについて明確には書かれていません。

ですが、すべては自分から始まる
ということではないかと思います。

「修身」という言葉の元は、
中国の古典「大学」にある次の言葉です。

「修身斉家治国平天下」

天下を平安にするには、国を治めること。

国を治めるには、家をととのえること。

家をととのえるには、自分の身を修めること。

より遠い他者へ影響を与えるには、
より自分に近いところから始めることだ
という教えでもあります。

また、自分の思考で創造するのですから、
豊かな現実を創造したければ、
自分が豊かだと感じていなければなりません。

つまり、
自分を豊かにすることが優先なのです。

「人生のすべては、
あなたがどんな存在になりたいかで決まる。
たとえば、あなたが
すべての他者と「ひとつ」になりたいなら、
具体的に「ひとつ」であることを体験し、
示せるように行動するだろう。
そういう考えで行動すれば、
結果として他者のためではなく、
自分のためにしたのだと感じるだろう。」
(p.287)

「愛があふれる存在になりたいなら、
ひとと一緒に愛があふれる行動をするだろう。
ひとのためではなく、ひとと一緒に。」
(p.287)

人生の目的は、
自分が体験したいことを体験することです。

愛のある人であることを体験したければ、
他人のために愛するのではなく、
自分のために愛するのです。

「自分のために、
ひとと一緒に愛があふれる行動をする。
それによって、
あなたはほんとうの自分についていだく
最も偉大な考えを現実化し、体験する。
だから、
他者のために何かをするというのは、
ありえない。」
(p.287 – 288)

自分が体験したいことのために
自分で行動して創造しています。

ですからそれは、
他者のためではなく自分のためなのです。

「あなたは演じている。
ある役割を創造し、その人物になる。
ただし、これはふりをするのではない。
実際にその人物になるのだ。
あなたがた人間がどんな存在になるかは、
自分で選択して決めている。」
(p.288)

私たちの本質は神です。

それが何かを体験するために、
今の「私」という人間になって
この世に生まれてきました。

自分で役割を決めて、自分で行動し、
自分で体験しているのです。

「自己に対して誠実で、
自己を裏切らなければ、
ひとに「与える」ように「見えて」も、
実際には
「受けとって」いることがわかるだろう。
じつは、自己に与えているからだ。
じつは他者に「与える」ことはありえない。
理由は簡単で
「他者」というものはないからだよ。」
(p.288)

ここで、前回のメルマガに書いた
最初に神が言った言葉の理由が
はっきりします。

「愛とは受けるよりも与えるものだ」
という文化的神話があるために、
「頭が変になりかけている」など
被害を受けているという理由です。

他者に与えるということは、
自分に与えることになります。

したがって、
外見的には他者に与えていても、
内面的には自分が受け取っていると感じる。

それが本来の姿なのです。

それなのに、他者に与えることが愛だ
という認識(神話)があるために、
自分が受け取っていると感じられません。

そのことで、
与えた他者に対する期待が生まれ、
その期待が要求になってしまうのです。

このことは、
何かの支援活動をしているとわかります。

支援した相手から感謝されないと
がっかりするという人がいます。

それはまさに、相手に与えているからです。

与える一方だから、心が枯渇するのです。

本当に愛の思いから支援している人は、
相手の感謝を必要としません。

自分のためにやっている
と感じているからです。

感謝したいのはむしろ自分の方だ。

そう感じているでしょう。

他者に与えているようで、
実は自分が受け取っているからです。

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