罪の宣告という幻想を活用する

罪の宣告という幻想を活用する

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神とひとつになること」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第15章の10回目です。

今回は、罪の宣告という幻想を
活用する方法になります。

「第七の罪の宣告という幻想は、
あなたがたにふさわしいのは賛美だけだ
という事実を経験するのに利用できる。」
(p.171)

賛美というのは、
「素晴らしい」ということです。

私たちの存在は奇跡であり、
素晴らしいものなのです。

しかし、その本質的な世界においては、
素晴らしいという感動を経験できません。

ですから、素晴らしくないという
対極の幻想を利用することで、
本質的な素晴らしさを
経験しようとしたのです。

しかし私たちは、
その幻想の海に溺れることで、
幻想の認識を極限まで推し進めました。

賛美とは悪いことだ、
とまで考えるようになったのです。

「とくに自己賛美は
悪いことだと思いこんだ。」
(p.171)

自己賛美が悪いなら、
何が良いことなのでしょう?

そう、その逆の自己卑下です。

謙虚という名目においても、
自己卑下が称賛されるのです。

自責や自己嫌悪の念も、
無邪気さから離れた社会人らしい
素晴らしい考え方だとされました。

「罪の宣告という幻想は、
あなたがた、そして神を害することが
可能だという宣言でもある。」
(p.171)

傷つけ、害することが可能でなければ、
罪の宣告には何の意味もありません。

その幻想を支えているのは、
傷つけ、害することが可能だという
これまた幻想なのです。

「神が存在するすべてなら
(わたしはすべてだ)、
神が最も力ある者なら
(わたしは最も力ある者だ)、
神が至高の存在なら
(わたしは至高の存在である)、
神は傷つけられも害されもしない。」
(p.172)

神はこのように、
傷つけ、害することが可能だという考えは
幻想であると言います。

考えてみれば、当たり前のことですけどね。

そしてこのことは、
本質的には神と一体である私たちにも
当てはめることができます。

「あなたがたがわたしの姿をかたどって、
わたしに似せてつくられた者であれば
(あなたがたはそのとおりにつくられた)、
あなたがたも傷つけられも害されもしない。」
(p.172)

私たちは神のようなものであり、
また神そのものなのです。

したがって、本質的には
傷つくことも害されることもありません。

それはつまり、
罪の宣告は真実ではないことを示しています。

「罪の宣告とは、
この驚異を経験するために
役立てようとつくり出された仕掛けだ。」
(p.172)

私たちは、
自分が傷つき、害されるのではないか
と恐れます。

しかし、それが幻想であると気づいた時、
本来の賛美されることしかあり得ない
自分を体験的に知るのです。

私たちは、
罪を宣告する神という物語を創りました。

その幻想は、私たちにとって、
とても役立つものになったはずです。

それによって、
「不安」「赦し」「共感」「慈悲」など、
私たちの素晴らしい側面を
経験できるからです。

「赦しというのは、
あなたがた人類の経験に役立つ
愛の表現のひとつだ。」
(p.173)

「赦しは
あなたがたが受けたと想像するどんな心理的、
感情的、精神的な傷も、
ときには肉体的な傷まで癒すことができる。
赦しは偉大な癒し手だ。
赦すことで、健康への道が開かれる。
赦すことで、幸せへの道が開かれる。」
(p.173 – 174)

私たちは、
「赦し」という側面を体験したくて、
罪の宣告という幻想を創りました。

傷つき害されることがある
と想像したのです。

そして、
より大きな赦しを経験するために、
より大きな罪を創り出しました。

「こんなひどいことをされて、
赦せるはずないでしょう!?」

そう感じて憤慨するほどの経験が、
私たちには必要だったのです。

イエスは、無実の罪で十字架にかかり、
そこからすべての人を赦しました。

私たちに、
その経験を手本として示したのです。

私たちは本質的に、
罪の宣告を受けることはありません。

地獄とは、
私たちが神から離れていると想像した
幻想の世界です。

真実は、
神から離れることはあり得ません。

ですから、
再び神と一体になろうとすれば、
その瞬間にその望みが達せられるのです。

「神ともう一度
一体になりたいと望むだけで、
その望みは達せられる。
 赦しは決して必要ではない。
聖なる存在自体が罪を犯したり、
犯されたりすることはありえない。
聖なる存在は、存在するすべてなのだから。」
(p.174)

存在するのは神だけです。

私たちは一体です。

ひとつのものしか存在していないのに、
一体何が何に対して罪を犯し、
その罪を赦すと言うのでしょう?

そんなことは不可能です。

「わたしはこう書かせた--
「愛とは決してごめんなさいを
言う必要がないこと」。」
(p.175)

謝罪は必要ありません。

なぜなら、
罪を犯すことがあり得ないのですから。

私たちがこのことを理解すれば、
私たちの司法制度は大きく変わるでしょう。

罪の宣告はなくなります。

つまずいた人に罰を与えるのではなく、
共感してやり、道を示してやり、
もう一度挑戦する機会を与え、
一歩を踏み出すことを励ますでしょう。

「そのとき、あなたがは
罪の宣告をする神という考え方を
完全に放棄するだろう。
愛は決して罪を宣告したりしないことが
わかるからだ。」
(p.175)

私たちは、本当の愛を体験するのです。

そして、
かつて罪の宣告という幻想があり、
それによって赦すことの素晴らしさを体験し、
本当の愛の素晴らしさに気づいたことを
微笑ましく感じることでしょう。

だから神は、
次のことを覚えておくようにと言います。

「--裁くなかれ、罪を宣告するなかれ。」
(p.175)

聖書には、このように書かれています。

「人をさばくな。
自分がさばかれないためである。」
(「マタイによる福音書」 7章1節)

私たちは、賛美される存在であり、
罪の宣告を受ける存在ではありません。

ですから、その幻想に気づいて、
まずは自分が裁くことをやめること。

そうすることで、
幻想を幻想として
利用できるようになります。

そのことを神は、
約束してくれているのです。

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