死は決して悲劇ではない

死は決して悲劇ではない

こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。

「神へ帰る」の一部を
引用しながら内容を解説するシリーズ。

今回は第8章の1回目です。

前章では、
「わが家」に帰る道として、
時間が短いことが良いわけではない
という話がありました。

そして、
「険しくない道」というのはあって、
それは意識して主体的にその道を歩む
というものでした。

こういった神の言葉を
信じる必要はないということは、
神は何度も言っています。

そして、神の言うことに同意しなくても、
真実に導かれると言います。

同意しなければ、他の道を選ぶだろうし、
それも違うと思えば、また別の道を選ぶ。

そうやっていつかは自分の道を選び、
その道もまた「わが家」に帰る道だからです。

「あなたの人生/生命全体が、
あなたを「わが家」へ、「わたし」へと導く。
だからすべての出来事、すべてのひと、
すべての瞬間を祝いなさい。
どれもが聖(きよ)らかなのだから。」
(p.67)

私たちが人生で関わるすべてのものごとは
「わが家」に導いてくれます。

ですから、
それらを祝福すべきなのですね。

「ある出来事に同意できなくても、
あるひとが嫌いでも、
ある瞬間を楽しめなくても、
すべては聖らかだ。
生命は、生命というプロセスを通して、
生命についての情報を
生命に伝えているのだし、
あなた「自身」について
「生命/人生」が語ることを知って
体験するほど聖らかなことはないのだから。」
(p.67)

同意できないものごとや嫌いなものごとも、
私たちを導いてくれるという点で
同じなのです。

つまり、ポジティブな体験だけでなく、
ネガティブな体験もまた貴重だ
ということです。

すべてが「わが家」へ導いてくれるなら、
それは以前の森に入る例で言ったように
自分でつけた目印ということになります。

ただ、自分がつけた目印だと気づかない
ということはあるでしょうけど。

「その傷跡は誰かにつけられた
と考えがちだから、注意しなさい。
そう考えるとあなたは被害者になり、
誰かが悪人になる。
しかし、以前にも話したように、
人生/生命には被害者も悪人もない。」
(p.68)

自分が原因ではないと考えるから、
ネガティブな出来事は悪人が原因であり、
自分はその被害者だと考えてしまいます。

その見方(視点)を選んだのは自分だ
ということを忘れているのです。

「すべては視点に左右される。
視点が認識を創る。」
(p.68)

「これはわたしが語る言葉のなかでも、
最も重要な言葉のひとつだ。
わたしはこう言った--視点が認識を創る。」
(p.68)

どういう見方をするかによって、
見え方が違ってきます。

「だから自分を被害者としてみれば、
被害者の自分が見える。」
(p.69)

「人生のすべての出来事を--
死をも含めて--贈り物としてみれば、
いつも自分のために役立ち、
喜びに導いてくれる宝物が見えるだろう。」
(p.69)

そこで神は、
5つ目の思い出すことを示します。

「・思い出すこと--その五
 死は決して悲劇ではない。
死はつねに贈り物である。」
(p.69)

死を悲劇だという見方で見れば、
それは悲劇として見えてきます。

しかし、
死を贈り物だという見方で見れば、
それは贈り物として見えてくるのです。

そうすれば私たちは、
死を役立てることができます。

本来の目的のように扱えるのです。

私たちにとって「死」は、
大きな悲しみでした。

神は、その「大きな死」の認識が変われば、
「小さな死」も認識が変わると言います。

「それに「かずかずの小さな死」を--
つまり、挫折や喪失などを--
怖がっていれば、生きることも怖くなる。
だからあなたは死ぬことを恐れ、
生きることを恐れている。
なんという生き方だろうか!」
(p.70)

「わたしがここで、何をしていると思う?
「大きな死」への恐れを取り除く手伝いを
するために時間を割いているではないか。
それが怖くなくなれば、
もうほかに怖いものはないからね。
そうしたら、ほんとうに生きることができる。」
(p.70 – 71)

「死」に対する認識が変われば、
私たちは本当に生きることができます。

つまり、何も恐れることなく
自分らしく生きられるのです。

「死について新しい見方ができれば、
新しい体験ができる。
それはあなた自身だけでなく、
あなたが愛する人たちにも
偉大な贈り物になるだろう。」
(p.71)

私たちが「死」を非常に恐れるのは、
そういう見方を教わってきたからです。

死んだら閻魔様の前に連れて行かれるとか、
地獄に落ちて
永遠の苦しみを味わうことがある
というような話を聞いたことがありますよね?

これらは子どもを脅すことによって、
大人たちの言うことを聞かせよう
とする大人たちの謀略です。

「しつけ」と称して、
子どもたちに恐怖を植え付けているのです。

そういう見方をすれば、
私たちは自分らしく生きられるのでしょうか?

それとも、他人から示された生き方に、
ただ従うだけなのでしょうか?

そして、
そういう他人の生き方を生きることは、
自分らしいことなのでしょうか?

私たちが見方を変えれば、
「死」もまた別の見え方をするのです。

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